「犬も歩けば、学者にあたる」泣かせる ★☆☆☆☆
笑わせる ★☆☆☆☆
驚かせる ★★★☆☆
力溢れる ★★★☆☆
知溢れる ★★★★☆
発行年月 2004年07月
『学者の値打ち (ちくま新書)
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【110冊目の面白い本】 『学者の値打ち』 鷲田小弥太
昨日の続き。
(昨日の記事)犬も歩けば、学者にあたる ◆『学者の値打ち』1/2 鷲田小弥太◆
学者であろうとすれば、かならず聞かれると覚悟した方がよい質問、
「あなたの研究のオリジナリティはどこにあるのか?」
新卒学生採用時にどこの会社も創造性がある人、自らの頭で考えられる人、などとやはりオリジナリティを求める。
入社後、新人は強い思いを胸に新しい企画を打ち出す。
そこで、先輩があわてて止めに入る。「まずは100件訪問して来い」
ホントに企業人にオリジナリティは求められているのか。
研究者にこそ必要なんだろう。
が、実際は研究者の中でも、コピーならまだしもコピーにもならないものがまかり通っているらしい。(無内容、誤読など)困ったもんでございます。
引用ばかりの文章は読みにくい。
引用の全く無い文章は、やっかいである。
著者の「オリジナル」が見分けられないからだ。なるほど。
書評が、一国の学術・文化水準を測る尺度である、とはよく言われることらしい。
「書評」とは、批評である。自他の間に、明確に境界線を引くことである。
境界線を引くことができるためには、自己の陣地が、きちんと腑分けされていなければならない。
相手の陣地に、無関心に、いちゃもんをつけたり、赤線を引くことに終始しているのは、
書評ではないのである。
よって、当の書物が試されるのではなく、
評者の学問意識が試される、と。
うむ。書評してます、と安易にはいえない。もとより、書評ではなく、感想文だと思っているけど。
好きなものばかり、読む人はいけない。
好ましいものを深く知るには、対極のものを知る必要がある、と。
読書が好きな人は、体を極度に酷使するプロレスを体験して、こりゃヤバイと
というのを感じてからでないと、真の本好きにはなれない。
よし、書を捨てて、道場へ行こう。
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