最近はまっている過去の人物 | うつ状態で苦しむあなたを助けたいのです!

うつ状態で苦しむあなたを助けたいのです!

私が躁うつ病を発症して29年目になりますが、躁とうつの波にもまれて苦しみのどん底にいた状況から8年前にようやくうつ状態を克服し、躁うつ病を薬だけ飲んでいれば症状が出ない寛解に至りました。今度はあなたが寛解する番です。


最近、真田一族の小説を朝晩読みふけっている。


もともと信州上田に立派な領地を構えていたが、誰か名前が出てこないが豪族に奪われ、その後武田信玄の下で修行した。


その豪族を謀略で打ちのめしたことを武田信玄に認められ、無事領土を取り戻した。


しかし武田信玄の急死でまたもや情勢は変化した。


父の死後、嫡男であった真田昌幸は、徳川との関が原の戦いにおいて、当時の豊臣側(西軍)に付き、徳川秀忠の軍団を関が原に到着できないよう上田で抗戦した。


しかし、関が原の戦いにおいて、石田光成率いる西軍の敗北により、真田一族は徳川に屈服するか否か熟考する。


その結果、昌幸の長男である信之は、徳川の下で信州上田を統治し、昌幸と次男信繁(後の幸村)は和歌山県九度山に流刑される。


面白いのはここからである。


流刑地での監視体制をかいくぐり、昌幸は何度も策略を成功させ、徳川家康を常にひやひやさせている。


服部半蔵率いる伊賀の忍びに、昌幸率いる伊那の忍びは負けていない。


昌幸が謀略に長けた一方で、幸村は抜群の軍略で対抗した。


後に加藤清正や福島正則を巻き込んで、大阪冬の陣に突入していく。


真田一族は結果的に、徳川家康の強大な力によって、滅亡を余儀なくされるが、武将としての真田幸村はすばらしい。


大阪夏の陣では、1人で千人を打ち倒したとの話もある。


とあるアンケートによると、真田幸村は、並み居る武将を差し置いて堂々の1位を獲得した。


決して恵まれた環境になかった中で、あそこまで戦えたのは、自身の武術だけでなく、その軍略と人をたくみに使う能力にあった。


だから私にとっては、経営において非常に参考になっている。