「めぐみさん招待所に」 空白の1年間  北元工作員新証言 | うつ状態で苦しむあなたを助けたいのです!

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私が躁うつ病を発症して29年目になりますが、躁とうつの波にもまれて苦しみのどん底にいた状況から8年前にようやくうつ状態を克服し、躁うつ病を薬だけ飲んでいれば症状が出ない寛解に至りました。今度はあなたが寛解する番です。



 それによると、82年から約1年間、カン氏がいた平壌市内の工作員専用の招待所にめぐみさんが暮らしていた。

 その後、カン氏は86年に工作員専門病院でめぐみさんと再会した。82~83年のめぐみさんの所在はナゾだったことから、“空白”の期間を埋める証言として注目される。


 カン氏は「約10人の日本人拉致(被害)者を目撃した」とも明らかにした。



 元工作員によるめぐみさんに関する証言は、公になっているものでは97年の安明進氏(作戦部所属)に次ぐものだ。


 カン氏は朝鮮労働党の対外連絡部の元工作員で、90年代前半に第三国で逮捕され韓国に移送された。


 対外連絡部の工作要員に選抜されたカン氏は82年から約1年間、平壌市内にある連絡部所属の招待所と呼ばれる隔離施設で教育を受けていた。


 この間、同じ施設内に若い日本人女性が北朝鮮の女性と住んでおり、朝の運動時などによく見かけた。


 カン氏は約10年後に韓国入りしたのちに、この女性がめぐみさんだと分かったという。


 施設にいた当時、監視の目を避け会話をした際、めぐみさんは「自分は日本人」と名乗り、「3年ぐらいで日本に帰る」と話した。


 明るい表情で、日本製のトレーニングウエアを着ていたという。


 めぐみさんは拉致されたあと「朝鮮語を習得すればお母さんのところに帰してやると言われていた」(日本の関係者)との情報もある。


 めぐみさんと再会したのは86年夏。平壌市内の「915連絡所」と呼ばれる工作員専門病院で会ったという。めぐみさんから「カン先生」と声をかけられ、立ち話をした。


 黒っぽいスーツ姿のめぐみさんは、このときも北朝鮮の女性と2人連れで、「婦人科の検査を受けにきた」と話した。以前に比べめぐみさんは朝鮮語が格段にうまくなり、「花が咲いたようにきれいになっていた」と、カン氏は当時を振り返る。


 めぐみさんは「三石(サムソク)区域の招待所にいる」と近況を話し、連れの女性とベンツで立ち去ったという。


 また、カン氏は80年代半ばに、工作員養成機関である「金星政治軍事大学」(現在の金正日政治軍事大学)で日本人4人を目撃し、工作員招待所がある龍城地区では5人を見たとも証言した。


 日本人拉致被害者の情報をもっているとみられる北朝鮮の元工作員は現在、韓国内に十数人いるとされる。


 しかし、安明進氏を除き元工作員は、自身の安全や、北朝鮮に残してきた家族に影響が及ぶことなどを懸念し、対外的な証言はしていない。


 カン氏は横田めぐみさんの生死について「自殺することは考えられない。韓国や日本なら自殺しても何もないが、北朝鮮で自殺は金日成、金正日親子への反逆で、家族や親戚(しんせき)まで罰せられる。めぐみは最高の待遇、最高の教育を受けていた。そういう者を北朝鮮は簡単に殺さない。具体的な証拠はないが、めぐみは生きていると思う」と述べている。


 カン氏は日本政府への情報提供に前向きだ。今後、写真照合など日本側の要請に応じる用意があるとしており、日朝間の拉致被害者の再調査に有益な情報となりうる。



*【対外連絡部】


 作戦部、対外情報調査部、統一戦線部と並ぶ北朝鮮労働党傘下の諜報(ちようほう)・非合法活動機関のひとつ。韓国や日本に工作員を送り込み、韓国内に地下党をつくるなど対南工作を担当。韓国内の主要人物の暗殺、政治、経済、社会、軍事の情報収集、流言飛語の流布などが任務。


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 だから以前の記事で米朝関係が改善すると、拉致問題も進展すると言ったでしょ。


 もう少し核心を話すと、重要情報はこれからぼこぼこ出てきますので、家族会の皆様におかれましては、決して日本政府に期待などしないでください。


 なぜなら北朝鮮は、日本に拉致問題以前に植民地時代の清算(お金)を先に求めているからです。


 北朝鮮にとっては、日本はどうでもよく、ただアメリカを含めた国際社会の支持や援助を受けたいだけなのです。

韓国在住の元北朝鮮工作員、カン・ヨンイル氏(44)=仮名=が2日までに、1977年に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時(13)=に関する新証言を、産経新聞に詳細に語った。