成功へ導いた撤退力 | うつ状態で苦しむあなたを助けたいのです!

うつ状態で苦しむあなたを助けたいのです!

私が躁うつ病を発症して29年目になりますが、躁とうつの波にもまれて苦しみのどん底にいた状況から8年前にようやくうつ状態を克服し、躁うつ病を薬だけ飲んでいれば症状が出ない寛解に至りました。今度はあなたが寛解する番です。

富士フィルム フィルム専門からの脱却と発展

21世紀初頭、カメラは銀塩フィルムからデジタルへと驚くべきスピードで移行していたが、利益率のいい銀塩フィルム事業縮小の決断は容易なことではなかった。しかし、2003年に古森重隆が社長に就任するや、あっさりその規模を縮小。「ライフサイエンス事業部」「光学デバイス事業部」「内視鏡システム部」などを次々と設立し、写真フィルムで培った技術を新たな製品の開発に結び付けていく。さらに写真以外のM&Aを加速させ、液晶パネルで使うTACフィルムやデジタル関連技術と共に成長させた。06年には社名も富士フイルムとなり、写真一辺倒だったイメージを名実ともに覆して成長を続けている。


古森重隆 富士フィルムホールディングス社長

1939年生まれ。
東京大学経済学部卒。
富士写真フイルム入社。
2000年社長就任。
07年にはNHK経営委員会の委員長に就任している。


ヤマト運輸 大口顧客から個人向け配送へ


ヤマト運輸(当時は大和運輸)の故小倉昌男が行ったのは、それまでの大口顧客偏重から小口重視への経営方針の転換。役員全員が反対する中、「個人の荷物を運ぶほうが儲かる」という自分の考えを押し通した。当時、個人の荷物を取り扱っていたのは郵便小包と国鉄小荷物だけで、これらは荷造りに注文が多く、配送日数も3日から1週間もかかる使い勝手の悪いものだった。そこにチャンスを見出し、自身の会社を「宅急便」の会社であると知らしめた。


小倉昌男 元ヤマト運輸会長

1924年生まれ。
東京大学経済学部卒。
71年ヤマト運輸社長。
87年会長。宅急便サービスの生みの親と言われる。


セコム 機械警備への転換で急発展

1962年に日本で初めての警備会社、日本警備保障(現セコム)は創業された。巡回警備のガードマンを派遣する事業は順調に伸びていたが、創業者の飯田亮は「このままでは10万人規模の人を雇うことになる」と感じ、オンラインの機械警備システムを検討し始める。これが66年のこと。そしてとうとう70年には「新規契約は機械警備に一本化する」と宣言。当然のことながら社内では反論が続出するが、飯田は「逃げ道を作っていたのでは、もう一段上には上がれない」と考え、社員たちを説得。最終的にはこの方向転換を納得してくれた社員たちが機械警備の営業を推し進め、これが現在のセコムの礎を築くことになった。


飯田亮 取締役代表顧問

1933年生まれ。
学習院大学政経学部卒。
実家の酒類問屋岡永を経て、62年日本警備保障(現セコム)を設立し社長に。
97年より現職。