「親切」は、どうして「親」を「切る」なの?
先日、時間外の郵便局で
AT機械を使いこなせないと、
係の人に電話越しで迫っている背の小さな女性ががいました。
「私はね、振り込みを今日中にしなきゃなんないんです。
でも振込用紙がどこにも入らないのよ、どうすればいいの?」
おばあちゃんでした。
「だって、振込み用紙をどこに入れたらいいんです?
でも大きくって入りませんよ!」
ちょっとイライラし始めつつ、でもとっても困ってるような
おばあちゃん。
なのに周囲の人は、誰も何もしてあげません。
だから私、「あのぉ・・・」と声をかけて
「もしよろしければ私がお手伝いしましょうか」と
と声をかけてみました。
おばあちゃん、速攻で手に持っていた電話を切って、「い、いいんですか?」と
とても喜んでくださいました。
ちょっと手間取りましたが
無事、振込み完了。
帰り際も、機械操作の途中も、何度も何度も
「見ず知らずの方に、こんなにまぁご親切にしていただいて」
と繰り返しお礼を言ってくださいました。
私は、いえいえ大丈夫ですよ、良かったですね間に合って、と
その場を後にしました。
で、その帰り道。
ふと「親切」について考えちゃいました。
なんで、「親」を「切る」で「親切」なんだろうと。
・・・むむむ。
・・・むむむむむ。
広辞苑を見ましたが、語源は出ていません。
だから私なりに答えを出してみました。
「親」じゃなくて「親切」の「親」は
きっと「親しさ」なんだろうと。
親しさを切り離して、知らない人にも心をかけてあげること。
それが親切なのじゃないかと。
どうでしょ?