「耐える、我慢、こういうのができると更に一段と育つ」野村克也 監督 | ぐっどねすぶっく

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STです!!!

 
今日は父の日でした!みなさんどんな感謝を伝えたでしょうか?
私は父の日にはいつも電話をすることと、毎年違う贈り物をすると決めています。
 
毎年違うものをと考えていると、だんだんあれも贈ったし、これも贈ったしとなるのですが、私もいろいろな調べ物をしてこれだったら喜んでくれるんじゃないかと結構楽しんでやっています笑
 
父も毎年違うものが贈られてきて楽しいんじゃないかと勝手に思ってやっています。
物事の捉え方って大事ですね♪
 
 
 

さてさて、格言にはまっているSTの「今日の格言」は、

 

「耐える、我慢、こういうのができると更に一段と育つ」野村克也 監督

 
野村再生工場と言われた野村監督の名言です。
他球団で戦力外通告を受けた選手を指導して、大活躍させるまさに職人のような方でした。
選手時代、監督時代などさまざまなエピソードが溢れています。
 
そんな野村監督の格言、考えてみると、子供の頃は耐えたり我慢するシーンって、多くなかったですか?
部活の練習や、校則、長い通学路を徒歩で歩くとか、今思うと毎日よくやってたな〜と思います(*´∇`*)
 
私の学校は校則に厳しかったので、5分前行動の5分前には行動している!といった、謎なルールがありました。
朝礼や集会には10分前には整列し、黙って5分前のチャイムを聞く、全校生徒が無言で5分間開始を待つ、そして朝礼や集会が始まります(笑)
真冬の体育館とか、本当によく耐えたと思います(*´꒳`*)
 
 
 
大人になってから、なかなかこういった努力って、する機会が減りますよね。
でも、確かに新人の頃とか、泣きながら覚えた仕事って、身になっています(o^^o)
ビジネス書とかも、貧乏時代を耐えて耐えて耐えて成功した話とか、私は好きです!
 
 
 
また、野村監督はこんな格言も残しています、
 
 
 
「私自身のバッターとしての才能は、はっきりいって二流でした。打率でいえば、いいとこ2割5分です。けれども、戦後初の三冠王をはじめとして残した結果は一流だと自負しています。何故そんなことができたのかというと、人の何倍も努力したからです」
 
 
 
スゴイ努力家ですよね!
野村監督は色々と本も書かれていてまだ読んでいない本もたくさんあります♪
また今度別の本も読んでみようと思います(o^^o)
 

 
 
 
 
 
【野村 克也】
1954年テスト生として南海ホークス入団。3年目からレギュラーとなる。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王などの記録をつくる。現役引退後は、南海、ヤクルト、阪神、楽天の監督を歴任、書籍の執筆、野球解説者として活躍。