敦賀市のマンホールカードをいただきに、金ヶ崎緑地公園へ行きます
ランチが思っていた方面の店舗じゃなかったので、どうやって行こうかと調べると、歩くと40分ぐらい
市役所前からコミュニティバスに乗って、途中でバスを乗り換えると行けるようなので、バスで行くことにしました
市役所の前を通って、
バス停は交差点の先にありました。
白銀町で下車。
敦賀市の駅前商店街、シンボルロードがある場所です。
シンボルロードには、漫画家 松本零士さんの「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」のモニュメント像が並んでいます。
松本零士さん、敦賀と何か関係があるのかなと思ったけど、特にないらしい
白銀町からバスに乗って
気比神宮は車窓から
金ヶ崎緑地に到着。
敦賀港の雰囲気を楽しめる緑化公園で、海沿いにはボードウォークやボードデッキがあります。
時計台
時計台の右に『人道の港 敦賀ムゼウム』、左に『敦賀鉄道資料館』があって、この2ヶ所がマンホールカードの配布場所です。
敦賀鉄道資料館
敦賀の鉄道の歴史を紹介する資料や列車模型などを展示しています。
見学は無料。
館内は写真撮影禁止の場所がありました
トリックアート🚂
浮かびあがってます
明治15(1882)年に京都-敦賀間に鉄道が開通。
その後、明治45(1912)年に欧亜国際連絡列車の運行が始まり、新橋(東京)-金ケ崎(敦賀)間を直通列車が走り、敦賀港から連絡船でウラジオストク(ロシア)へ、そこからシベリア鉄道でパリ(フランス)まで行くという路線ができました。
東京から敦賀まで直通というだけでもすごいのに、敦賀港からロシア、フランスまで繋がっているだなんて夢のような路線です
明治32(1899)年に敦賀港は「開港場(外国貿易港)」に指定されて、敦賀市は日本海側の主要な国際港湾都市、鉄道と港のまちとして発展しました。
資料館は、欧亜国際連絡列車の発着駅である金ヶ崎駅(旧敦賀港駅)を再現した建物でした。
ここで配布しているカードは、「気比の松原」、そこから望む「立石岬灯台」、敦賀の鳥「ユリカモメ」を描いたデザイン。
立石岬灯台は、明治14年に石造り灯台として初めて日本人のみの設計・施工で建てられたそうです。
マンホール蓋は、平成11年、敦賀港開港100周年を記念してつくられたものですが、座標蓋探せずでした
『人道の港 敦賀ムゼウム』へ。
ムゼウムって
ポーランド語で資料館という意味でした。
前述のとおり、敦賀市は古くから大陸への玄関口として栄えた港町。
明治35(1902)年にはウラジオストクと敦賀港との間に定期航路が開設されました。
1920年代にロシア革命で家族を失ったポーランド孤児が、1940年代にはリトアニアのカウナス領事代理・杉原千畝氏が発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港であるため「人道の港」と言われています。
資料館の有料エリアは撮影禁止。
ポーランド孤児やユダヤ人難民と敦賀の人々の関わりや歴史が紹介されています。
マンホールカードには、敦賀ムゼウムと、敦賀港、天筒山、金ヶ崎緑地が描かれています。
豊かな自然と人を繋げる優しいまち敦賀をイメージしているそうですよ。
この建物の近くにこのマンホール蓋がありました。
でも、座標蓋はこれではなくて
敦賀鉄道資料館近くの歩道にあるものでした
■敦賀市マンホールカード配布場所