真田昌幸・幸村父子が隠れ住んでいた屋敷跡に建つ寺院『真田庵』。
 
なぜ、真田昌幸・幸村父子がこの地にやってきたのか・・
 
ここでちょっぴり歴史紹介流れ星
真田幸村(信繁)は、父譲りの軍才を若くから発揮。
1600年の関ヶ原の戦いでは、父・昌幸と幸村は西軍に、兄・信幸は東軍につきました。
結果は東軍が勝利したため、西軍についた昌幸と幸村は、敗軍の将として切腹を命じられるところを、信幸の必死の助命嘆願により死罪を免れ、蟄居を命じられて九度山で14年間を過ごしました・・。
その後、豊臣方として、大坂冬の陣にて幸村は真田丸を築き、幕府方の部隊に大打撃を与えることに成功し、その武名を轟かせました。
 
真田庵は、江戸時代寛保元年(1741年)大安上人によって創建。
風情あるお寺で、敷地内には真田親子の伝説がいろいろ残っています~。
 
雷封じの井
屋敷に落ちた危険な雷を幸村が取り押さえて井戸に封じ、
村人を救ったとの言い伝えが残っています。
 
真田地主大権現
毘沙門天と真田昌幸・幸村・大助の3代の御霊が祀られています。
 
 
蟄居の身であっても、学問や武道に精を出して、希望を捨てずに前向きに生きたんでしょうね~。
 
そして、ぜひ訪れてほしいのは、敷地内にある真田宝物資料館(入館料200円)。
 
幸村が愛用したと伝えられる槍先や鎧などの武具や直筆の書簡が展示されています。
 
大坂夏の陣で使用した槍先
 
 
コチラは一見の価値アリですよキラキラ
 
 
そば処幸村庵~九度山で真田そば♪へつづく・・。