大分県に、いずれ世界遺産になるだろう、ならないとおかしいと私が思っている場所がある。
それは、耶馬溪
主人とドライブがてら黒田官兵衛の中津城を見学した後、青の洞門あたりを軽く散策しただけだが、こんなに美しい場所があるとは驚いた!ヒーリングスポットである。
※夏にあった豪雨の後、心配になり様子を見に行ったが、川沿いのお店や川の遊歩道もかなり被害を受けておられた
緑の時期でも十分美しいが、紅葉の時期になるとどれだけ美しいのだろう
今年は必ずまた主人と行く予定だ♡
で、この美しい耶馬溪に存続の危機が訪れたのをご存知だろうか??
一部を業者が買い上げ売りに出したのである。
そこで立ち上がったのが、この方、
大分県中津市出身の福沢諭吉先生である。
学問のすゝめ
仰るとおりである!
で、その諭吉先生が、故郷である中津市にある耶馬溪の存続の危機に素早く反応。
多額の私財を投じ業者から買い戻し、中津市に寄付し現在がある。
耶馬溪が今もなお美しいのは、福沢諭吉先生がいてこそ、である。
そんな福沢諭吉先生の資料館が中津市にある。
とても勉強になるのでぜひ足を運んで欲しい。
山口県の誉れ吉田松陰先生のように、多くの立派な弟子を輩出されている。
これを書きながら、吉田松蔭先生の生年月日を調べたら、なんと4才しか変わらない。松蔭先生が4才先輩だ。同じ時代の人間である。
ただ、幕府のやり方が間違っていると声を挙げたか挙げてないかの差で2人は明暗を分けた。
福沢諭吉先生は幕府の欧米使節団に3度も随行させて貰い、自分の夢を実現した。一方、松蔭先生は何度も欧米に密航しようと試みるも失敗し、最後は幕府に処刑されるという非業の死を遂げた。何ともやるせない気持ちである。
もしも、この2人の先生が一緒に欧米に行けていたらと…本当に残念に思う
ただ、吉田松蔭先生の死が、国家の損失になったという事を歴史が証明しているのだけが救いだ。
ちなみに記念展示会も現在やっているようだ。
渋沢栄一氏も大分出身なのである。
おしまい。