日本人がヨーロッパのホテルのクロークでオーバーコートのボタンをスマートに外して脱いだり、着たコートのボタンを手際よく留めるのを驚嘆の目で現地の人は見ていた。と言う記事を読んだ記憶がある。
確かに日本人は器用である。そして、器用さは、衣服のことに限らない。
ご飯茶椀を左手に持ち右手に持った箸でオカズを器用に挟んで口に運ぶ。
畳の生活も器用な動きが必要である。
座ったり立ち上がったり、コタツに入ったり、正坐するのも難しい。
そんな日本人が脳出血や脳梗塞で利き手の右手が麻痺すると、先ずは食事が出来ない。衣服の脱ぎ着も出来ないし、畳の生活はほど遠い。そこで考えたのが、あらゆる面で日本よりルーズと思われる西洋式の生活です。
日本で最初の病院は江戸後期に長崎に建てられたが、ベッドも取り入れられた。
しかし、食事は日本食である。患者は日本人であるから当然です。
さて、病院での配食は日本食で、箸で食べるのが普通である。しかし、利き手である右手が痲痺すると食事が出来ない。どうするのか。「食事介護を受けて、食べさせてもらいながら痲痺手の訓練を受けて回復させる」のがリハビリだと思うのである。
しかし、何故か動く左手を訓練して、先ずはフォークやスプーンを使って自分で食べられるように訓練し、次第に左手で箸が使える訓練をするのが主流である。
さて、フォークやスプーンでドンブリのご飯を食べたりオカズを食べるのは、お腹を満たすだけです。
本来の西洋式の食事では、スープはスプーンで呑みますが、パンは小さく千切って口に入れます。そしてメインはナイフとフォークを使います。
西洋ではどのようなリハビリをするのか知りませんが、西洋でも両手を使えるようにしないとマトモナ食事は出来ません。
箸を使うのも難しいですが、ナイフとフォークを両手で使うのも難しいのです。
とにかく他人の目を気にする事無く自分独りで自由に食事が出来る事、美味しく楽しんで食事が出来る事、それが最も大切で重要な事なのだ。と言う意見もあります。
と言うか、このような考えに基づいて利き手である右手の変わりに、何とか食べられるようにと麻痺のない左手を訓練するのが、脳出血や脳梗塞の作業療法だと決めている病院が多いのではないでしょうか。
お腹が満足するのが食事だと考えるのは治療側のエゴだと思いませんか。お腹が満足するだけで良いのなら手掴み食いでも犬食いでも良いのですか。
私は右利きで左側が麻痺しましたから、最初から箸を使うことが出来ました。
しかし、左手でご飯茶碗を持つことは出来ません。こぼさないように食べようと思うと顔をドンブリに近づけるから犬食いに近くなります。
これがとても嫌で、元のように両手を使いたい一心で、麻痺手でご飯茶碗を持つ練習をしました。食事だけではなく、洗面・着替えなども両手を使うように努力しました。
病室のベッド下に衣装ケースがありますから、床にしゃがんで両手で整理することもしました。
起きているときはスニーカーを履くようにしましたから、靴ひもを結ぶ練習もしました。
手は完治しなくても、少し動けば可成りのことが両手で出来ることを入院中に学びました。
そして発病から半年足らずで通勤勤務を再開しましたが、シャツを着てネクタイを締めて出勤し始めました。
また、退院したときから自宅では畳に布団を敷いて寝ています。左手にご飯茶碗を持ってご飯を食べます。ナイフとフォークも両手で持ちます。
右手の器用さは大脳だけではなく小脳にもコピーがあります。
だから大脳が傷害して、右手が動かなくなっても、麻痺手を療法士か麻痺の無い手で動かしていると小脳のコピーが大脳に新しいコピーを作って右手が動くようになるのです。
とにかく痲痺のない手で痲痺手を動かし続けましょう。
少し動く人は何でも良いから両手で挑戦しましょう。