それなりに終活もしています。何冊かあったアルバムは、プリンターのスキャナー機能でデジタル化して、古いアルバムは焼却しました。少年の頃の掲載された詩などが載った書籍については、ぼつぼつとデジタル保存を進めています。改めて興味ある方には、読んで欲しいという衝動に駆られました。少年の頃を含めてまずいものばかりですが、逐次、順不同で公開します。読んでみてください。

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中学3年生の時に雑誌に投稿した作品です

  無季節地帯

 

午前五時

夜霧たちこめるなかを父は出ていった

カンテラとツルハシの穂先をさげて

カンテラの灯がレールを冷たくてらす

やがて父は坑についた

きのうもきようも夏冬春秋むせるようなしめっぽさと

炭酸ガスを染色したような息ぐるしい黒い霧

その中でおてんとうを拝むこともなくあくびもできず

父は働らく 働らく働らく

七時三〇分

ぼくは学校に行く

母は紹枝(妹の名)をつれて洗炭場へ行く

「服のそでが破れているぞ」先生の声

「かあさんはおるんじゃろ」先生の声

ぼくの血に逆流する

それでもぼくは机にふせる

2フラス3イコール5  ばくはつぶやく

そんな時父の汗は流れる 青い大きな汁

父は何千キロもかかる圧力の石炭にぶちあたっているのだ 人骨と石炭

その先は同じ石炭 黒い石炭 圧力の石炭

しかし生きるためには掘らねば

父は思う 生きる 生きる 生きる 午後十時

眠れない 眠りたくない 眠れない窓ガラスに月が斜めに射す

カチカチカチ

時計が悪魔の使いのくつ音のように

時を刻む それ以外なにもきこえない

人の息はたえている

高校 就職 高校 試験不合格 不合格

そうしてぼくは考えていた

と、静けさの中から父の声がした

季節が欲しい春や夏や

 

(宇部市原南区多賀丘・進学予定)

 

 

当時「人生手帖」という雑誌があって、書店で見つけて買ったか、学校の図書室にあったかは、記憶にありません。その雑誌に、この詩を投稿したら、後日、この単行本が送られてきました。

 

人生手帖についてのAIの回答です。

『人生手帖(じんせいてちょう)』は、昭和の戦後復興期に文理書院から創刊され、主に働く若者たちの心の支えとなった代表的な「人生雑誌」です。 

戦後の混乱期から高度経済成長期にかけて、集団就職などで若くして社会に出た青年男女に多大な影響を与えました。 

主な概要と歴史

・創刊と背景: 1952年(昭和27年)1月、文理書院の寺島文夫(徳治)によって創刊されました。 

・ターゲット: 中学や高校を卒業してすぐに工場や商店などで働き始めた「働く青少年(勤労青年)」が主な読者層でした