皆さん、朝日と夕日を見分けることが出来るでしょうか?
もちろん、実際に自分が太陽を眺めているとすれば、どちらか分からない状態はあり得ないのだが、写真で朝日か夕日かを判別することはできるのだろうか?
私も何回かトライしたことがあるが、他人が撮った写真を判別するのは容易ではない。
その見分け方があるのだろうか?
私が投稿した朝日、夕日の写真にコメントを頂くことがある。確かに、その場所を知らないと間違えることはある。というよりも分からないと思う。
こんなことを最近、ふと思って、ネットなどで調べてみた。
ネツトで色々と見ていて、大体私の体験から思っていた通りに近い。
まず、朝日よりも夕日の方が赤みがかかる。
これはなぜかと言うと、大気中のゴミやホコリ、気温の上昇による水蒸気などの要因で光が反応して赤く見える。一方、朝日はオレンジ色が強く透明感がある。
概ねこんな感じだ。
〈今朝の朝日〉
では、
朝日と夕日どちらが好きですか?
と聞かれたらどうでしょうか?
私の日常会話で多いネタだが、
人のタイプによって好みが分かれるようだ。
私は、両方好きですと答える。
それ以上に太陽が好きです。いや、毎日気にしていますと答える。
ただ、私は好きな理由が他人と違うところが多いと思う。
そもそも、私が近藤昇だから?
これはどちらかというと後付けのネタだ。
私が生まれ育った環境は、家の周辺から、朝日も夕日も常に自然の中で見える環境だった。
太陽が昇る小松海岸と、太陽が沈む吉野川。私は誰よりも太陽を意識して生活いたかもしれない。
なぜ、朝日や夕日が好きなのか?
と聞かれれば、この子供の頃にこの環境で生まれ育ったことが頭に浮かぶ。
新興国でビジネスをするようになって、自己紹介で、“My first Name is risingSun”、ジョーダン半分で言うようになって、ますます、昇という字(名前)を意識し始めた。
子供の頃は、昇の意味が分かりにくくてあまり好きでなかった。中学校の同級生に登さんがいて、うらやましかった。山に登る。で実に分かりやすいからだ。
今は、昇はいろんな意味で気に入っている。
太陽が昇る。が最たるものだ。
こんな風に書くと、
朝日の方が好きなのでは?と言われそうだが、
私の場合は、朝日と夕日に求めるものが違う。
シンプルに言うと、朝日はやる気エネルギー充填の機会だ。世間でも朝日を浴びて活力を得る、エネルギーがみなぎる。こんな言い方が多いと思うが、私も一緒で、朝日を待っているのも、太陽が顔をだした瞬間も、太陽が昇っていく様も全てが眺めているだけで活力が湧いてくる。
そして、一日の始まりという儀式でもある。ご来光を拝むという言葉もある。高山から日の出を見ることを言う。また、元旦の日の出の初日の出は国民の習慣だ。
一方、夕日でエネルギーをもらう人は少ないと思う。やはり、一日の終わりにに近づき、その日の振り返りと共に、哀愁を感じる人もあれば、今日は今一つだったが、明日につなげようという感じの日もある。感覚的には、明日こそ良い日になればという感じの時の方が、夕日は感傷深いし奇麗に見える。そういう気分と合わさって夕日の方がアート感が強いと思う。
今も事あるごとに写真をたくさん撮る。いつか、朝日と夕日の写真展をしようと思っている。多分、夕日の方がアート感が強いので夕日作品が多くなると思う。
いずれにしても、私の場合は、朝日と夕日は毎日でも見ていたい。
しかしながら、当たり前のことだが、基本的には一か所でしか毎回唯一無二のシーンを見ることができない。だからこの喜びに浸る。
私は毎日どこにいても天気を気にしている。
海外も含めて知らない場所に行った時、何時に日が昇るか?何時に日が沈むかを四六時中気にしている。それ以上に気にしているのが、方角である。ホテルなどの部屋によっても全く太陽にお目にかかれないことも多々ある。
だからこそ、方角はとても重要なのだ。今私が重宝しているアプリがある。日の出と日の入りの時刻と角度をマップで教えてくれる。これを私ぐらい使っている人はいないのではと思う。アフリカでもどこでも使える優れものである。
もう一つ、太陽と言えば、
最近は、古神道がきっかけに太陽神などにも興味がある。
古事記に登場する天照大神(アマテラスオオミカミ)だ。世界中で古代から太陽は神なのだ。太陽神は実に様々な時代に存在している。
最後に、太陽について時々考えることがもう一つある。
あと、数十億年後に太陽はなくなる。という話は自分には直接関係しなくても、未知の世界への興味がある。そして、そんな抗いようのない宇宙の法則と人間の存在に好奇心をそそられるのである。
以上