ブログを50日連続で書いてみて生まれた次の目標 | 近藤昇ブログ 仕事は自分で創れ!

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「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

 

 

書くことは本当に奥が深い。

ふとしたきっかけで、6月14日から始めた毎日ブログ。昨日で50日になった。

(ちなみに、私はブログを単純にネット上に書く自由な文書と考えている)

 

世間でも習慣化には3週間が目安だとよく言われているように思う。

そういう意味で、私もすでに毎日書くことに関しては、習慣化できたといえる。

もちろん、20年前から書籍も書いていたし、ブログや寄稿など様々な機会で平均的な人より文章を書くことが多い仕事をしていると思う。

今回初めて、今まで唯一やったことがなかった“毎日書く”にチャレンジをしてみた。

 

一昨日、高校時代の友人と久しぶりに食事した。

その時に、自然と私のブログの話にもなり、毎日書いていると話すると、

驚いた友人がこう言った。

“国語が苦手なおまえが凄いな。信じられないよ”

 

確かに高校1年の第一学期の期末試験で一緒に国語で赤点を取った仲だ。

赤点とは欠点と呼ぶ学校もあるが、不名誉な落第点である。わざわざ、担任の先生がクラスで名誉ある二人の名前を発表するものだから、近藤は国語が苦手なんだとクラス中に広がり、ずっと高校時代のレッテルを貼られた記憶がある。

たしかに、私は小学校のころから自覚があり、私は国語が嫌いだった。だから読書も嫌いだった。当然、文章を書く機会は平均的な子供より少なかった。

 

本を書くようになって、あるプロのライターに言われたことがある。

”もし小説を書くのであれば、18歳までに読んだ本や文章の量で決まります”

小説を書く気もなかったが、その時、妙に納得とあきらめ感があった記憶がある。

 



私が50日間ブログを書いてみた今日の時点で何を考えているかというと、

表現として書くことの大事さと難しさを今更ながら気づいたということだ。

人間が書いて表現することは実に奥が深いと思う。

 

人間の表現する方法として、話することも重要な特徴である。私は仕事柄も、書くことより圧倒的に話することが多い。ここ最近も自社運営のオンラインセミナーで毎日のようにスピーカーをしている。(当社では講演者をスピーカーと定義している)

 





もちろん、足掛け20年以上話していると、頭の中に話す材料はどんどんストックされてくる。だから、アドリブでも2時間ぐらいはいつでも話しできるようになる。(実際にそんな機会はめったにないが)

とはいえ、基本は下調べしたり、話しする根拠を確かめたりする。それと過去自分が話したことも反芻することで、話の中身は醸成される。

 




ただ、正直、毎日ブログを書いて思うのだが、少なくとも私にとっては、話することよりも書くことの方がよっぽど難しい。全工程において労力が必要だし神経を使う。

本を書くのとブログを毎日書くのもまた違う。

 

ところで、話すること、書くことの両方の表現のプロセスは似ている。概ね次のような順番になる。

・テーマを決める。

・内容を考える。

・表現する(本番)。

 

どちらにおいても、まずは先にテーマを決める。話であれば演題と言われるモノである。文章であれば見出しだろうか。もちろん、テーマは内容の構想が固まって最期に決まることもある。

 

次は、内容を考える。

コンテンツの全体像が出来れば、それが事実かどうか、正しい言葉、表現かなどをネットや書籍などを使って下調べする。材料集めともいえる。

話するのであれば、図などを利用してビジュアル的に伝えることもできる。

 

いよいよ本番で表現するであるが、話することと書くことで大きく違う。

話する場合、30分や40分ぐらいのセミナーでリハーサルをすることはあまりない。だから、結構、ぶっつけ本番で話をする。


一般的に話は基本的には人前でする。

簡単に録画できる最近のオンラインならともかく、話の内容はその場で消えてなくなる。

そもそも、私は、人の話を聞く人は、1/3を理解し1/3を誤解し1/3を忘れるということを前提に話をする。もちろん、忘れてほしいという意味ではない。


こんな頃合いを前提にすると、書くことに比べたら曖昧なことも表現できてしまう。

このあたりは、有名なメラビアンの法則を知っている人も多いだろう。話するときは言葉以外で人に伝えれる要素も多い。一言でいえば話し手の言葉だけでなく態度や表情で伝えれることも多い。

それともう一つ、話する場合は、時と場合によるが、“ここだけの話”は結構使える。

(ただ、最近の録画前提のオンラインだと今までとは違ってくることは断っておくが)

 

 

一方、書くことの本番は文章として残すことになる。今であればパソコンなとでの記録になる。それを発表する、公開することになる。本であれば印刷である。記録にずっと残ることが前提になる。話することと比べて、書くことの場合、本かブログなどの目的により違いはあるが、書いたものを誰がどこで読むかは想像するのは難しい。

記録が残ることで、必然的に神経がとがる。間違えた記述はできない。誤字脱字は言うまでもなく(これを修正するのもとても骨が折れる)、内容が曖昧でもいけない、当然、著作権侵害などもってのほかだ。

 

こんな風に単純に比べても、話することの価値も高いが、書くことの方がもっと難しいと思う。文章の内容の精度も高くないといけないし、責任も意識しないといけない。

 

私は、話し好きな方には、書いてみることを、ぜひおすすめしたい。

また話することが苦手な人にも、ぜひ書くことで表現にトライして欲しい。

 

さて、私が書くことに関して、改めて気づいた事を最後に簡単にまとめる。

・訓練すれば表現力は上がる。

・書くことで、毎日考える習慣がつく。そして書くネタが生まれる。

・書くことで記録を残すと何かと役に立つ。

 

もう一つのコツは書きたいテーマ、単語、表現などをマメにメモすることをお勧めする。

これからは、記憶より記録の時代。

書くことの方が得なことが増えるのは疑う余地はない。

そんな訳で、私の場合は、折り返しとして考えて100日までは続けてみようと思っている。

そうすれば、さらに別の世界が見えるような気がする。

 

以上