今年の大学入学共通テスト。
例年、テスト終了後の新聞は“出題傾向”などを考察する記事が集中し、出題傾向から今後の求められる教育のあり方が考察される。
今年は出題傾向ではなく、試験に関わる特異な事件に教育の有り方を考えさせられる。
高校2年生による東大テスト会場での刺傷事件と受験生のスマホよる問題流出事件。
新聞報道によると、
東大テスト会場での刺傷事件の犯人の高校生は、『「東大は無理」と言う話しになり心が折れた』
「人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと思った」などと話しているらしい。
問題を流出した受験生は「自信が無かったので不正行為をした」と語り、彼女は大学生に通いながら本命の大学を目指す仮面浪人生だと言う。
どんな理由や社会的風潮であれ、彼らがした事は許される事では無い。
また、マスコミの報道だけで、学校や親の指導がどうだったかなど結論づけるのは危険だと感じている。
しかし、当の教育界や学校はこれを機に提示した方針に反して、歪な進学実績や学歴主義の間違った空気感に教師や生徒や親が支配されていないかどうかを自ら検証する姿勢が求められる。
大阪の高校でも学校の求める生徒像に文武両道と掲げながら、実際の学校や職員の空気感は進学実績に重きを置いた言動に満ち、求める生徒像がお題目となりリアリティの無いアドミッションポリシー(求める生徒像)が空しい学校は現実に多い。
そんなお題目主義の学校では教師が部活動や多様な授業以外の活動に公然とブレーキかけながらも、それに反発するかのように部活動に精を出す生徒達を「うちの学校は部活が盛んです!」とPR宣伝に利用する卑怯な学校もある。
求める生徒像のリアルな共有が学校と生徒、保護者にあるや無しや。
また、浪人することのデメリットばかりをやたらと吹聴し、短いスパンで成否や答えを求め、長い目と時間をかけ、腰を据えて目標に向かう人生感を暗に否定するような事は無かったか?
早期に特徴的な人生設計を求める特色ある学校づくりに落とし穴はないか?
罪を犯した若者に大いに反省を求めると共に、お題目の陰に隠されたリアルな現実に課題を発見し、検証する姿勢が今こそ求められるのでは無いだろうか?
二つの事件から教育の傾向と対策が求められる。
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