ロシアのプーチンによるウクライナ侵略が始まった。
大粛清で恐れられたスターリンの死後、旧ソ連の実権を握ったのはフルシチョフだった。1965年のスターリン批判に、こぼれ話がある。壇上で独裁者の専横をなじるフルシチョフに、聴衆の一人が声を上げた。「その時あなたは何をしていたのですか?」声のした方をにらみフルシチョフは言った。「今、発言をしたのは誰か。挙手していただきたい」。手は挙がらない。壇上の人は続けた。「あなたと同じように私も黙っていた」(川崎浹著『ロシアのユーモア』)壁に耳あり、鍵穴に目が光る。生きたければ口を閉じるしかないのが恐怖政治の罪深さである。その咎を独裁者一人が負うべきかといえば答えはノーだろう。押し黙った人たちも立派な共犯と言っていい。罪なき民が割を食う構図は時の古今を問わない。(2021年12月12日産経抄)
「その時あなたは何をしていたのですか?」
ロシア国民にとっては洗脳教育と粛正の恐怖がこの問いかけを無力化する。
日本人には遠い異国の出来事であまりに大きな問題に無力感を感じているのか?ただ戦争反対と唱え、平和を祈るばかりが免罪符と化してはいないか?
遠い異国の問題では無い。北海道は根室半島納沙布岬からは3.7kmの目と鼻の先の歯舞諸島をはじめ我国固有の領土である択捉、国後、色丹がロシアに不当に占拠されたままである事を忘れたか?
納沙布岬から歯舞諸島までは3.7km
ロシアだけでは無い、日本海を挟んで隣接する北朝鮮は日本人を国家として拉致したまま、核武装し威嚇のミサイルを打ち続けている。
中国は尖閣を我が物にしようと虎視眈々とシナリオを進めている。
ロシア(チェチェン、クリミア)や中国(南沙諸島、ウイグル)による軍事力による現状の変更や北朝鮮の国家的犯罪は現実問題。
あまりに大きな問題だと無力感を装うなかれ。まずは足元の身近なところにやれる事はある。
今、学校や教師は子ども達に、この現状の何を語っているのか?おそらく何も語っていないだろう。
今、目の前に起こる世界の理不尽を具体的に語れずして何が人権学習か?何が道徳教育か?何が平和学習か?
遠くも近くもありはしない。大きい小さいも関係無い。この問題に向き合わずして、いじめ問題やDVもSDGSもあったものでは無い。身近な権威や権力の横暴(不埒な校長、教育委員会、議員連中の)や不正に勇気を持って声を上げる事を怠っているのと同じように、根本的に向き合っていないのではあるまいか?
全ては同じ思考の中にある。
「その時あなたは何をしていたのですか?」
そう人に問われる前に
「その時、自分は何をしていたのか?」
そう問いかける事のできる人であらねば、そう思える子ども達を育てねば。
まずは学校の子ども達に、今回のウクライナ侵略について向き合い、そして日本の現状を正しく把握する時間を作る事が今やらねばならぬ事、できる事ではあるまいか。
学校や教師、大人に今できる事は山ほどある。戦争反対と祈る事だけに免罪符を求め、無力感を装っている場合では無い。
参考ブログです
2019年6月のブログ
2022年2月のブログ



