聖徳太子がお亡くなりになり今年で1400年がたつらしい。
大阪市立美術館の『聖徳太子 日出づる処の天子』のポスターが目に止まる。
聖徳太子と言えば二歳でお釈迦様の御命日に南無仏と唱えられた事に始まり、物部守屋との戦、冠位十二階、十七条憲法の制定、遣隋使の派遣、四天王寺、法隆寺の創建など功績逸話を上げればきりがない。
十七条憲法の第一条
「和を以って貴しと為す。」
は誰もが知っている。
誰もが知る意味は、和が表すようにみんな仲良く諍いの無いようにとの空気感が強いが「和を以って貴しと為す」に続き、「忤(さか)ふる無きを宗とせよ」とあり、上下のへだたり無く議論せよと言う本来の認識について知る人は少ない。
更に締めの十七条には
「夫れ事は独り断(さだ)むべからず、必ず衆(もろもろ)と與(とも)に宜しく論(あげつらう)べし。」
とあり、もろもろと活発に議論することが大切で独断をせず、皆で議論を尽くせば自ずと物事は上手く進むと冒頭と最後に強調されている。
要は聖徳太子はしっかり議論を尽くす事が肝腎だと訴えている。その思いを受けて、後の明治の五箇条の御誓文には
「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」とあり、聖徳太子の十七条憲法の精神が受け継がれている。
我々は聖徳太子には寛容的な和のイメージが強く、肖像画で言えば旧一万円札で見慣れたこの絵のイメージが合う。
イメージの刷り込みとは恐ろしいもの、どうもお札の柔和な太子像が「和を以って貴しと為す」の真意をぼかしてしまったように思えてならない。
しかし太子が描かれる像や絵画はどちらかと言えば凛とした意思の強さや厳しさを表すものが大半で、妥協を許さぬ気持ちの強さがその目から伝わってくる。太子の多様な一面を見せてくれる。
大半の太子のお顔はこちら。
下の二歳で南無仏と仰った時のお顔、二歳とは思えぬ心の強さが感じとれる。
愛馬黒駒に跨る姿も凛々しい。
議論に対する意思の強さが本来の聖徳太子であるのだなと実感する。
そんな太子であればこそ国内外が混迷を極めた飛鳥時代の国を導き、守り、発展させたに違いない。また、その功績と共に志の強さが後世の貴族、為政者や何より庶民の揺らぎ無き尊敬の念として今に引き継がれたのだと思う。
表面上の笑顔や優しさと拝金主義的偽善に満ちた昨今に、「和を以って貴しと為す」その真意を忘れるなと聖徳太子さんのお顔は訴えている。






