IR贈収賄事件に見えるトップのあり方について。 | 世に棲む日々。(教育講演、研修、相談)

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おもしろきこともなき世をおもしろく
すみなしものは心なりけり

IR贈収賄事件で100万円を受け取った日本維新の会の国会議員に対する松井代表の対応を見て思った事がある。

松井代表は議員辞職は当然の事と言う。
私もその事に関して何の反論も無い。

私が違和感を感じた事は、
松井代表は維新の議員に対して日頃からこの様な事はあってはならぬと話していたにもかかわらず起こってしまったのだから個人の資質の問題だとの認識を示した事。

まるで子どもの言い訳。

そこには、徹底しきれなかった組織の長としての自分や組織全体への問題意識は感じ得れない。

不始末を犯した個人に全ての責任を帰着させ、組織全体やトップは無関係であるかの様なトカゲのシッポ切り。


クラス内でイジメが起き担任の先生が日頃からイジメはダメと口を酸っぱく言っているのですが起きてしまいました、これはイジメた生徒の資質の問題だと言っているのに等しい。


何でもかんでもトップの進退を問い、責任問題を不必要に論う事を訴えているのでは無い。

進退に関わる問題であろうが無かろうが、組織内で起こった問題に対してトップやリーダーが己自身や組織全体の問題として捉える姿勢の無さを問うているのだ。


松井代表と言えば大阪府知事の時代、府立高校定員割れの責任を現場サイドに押しつけ行政サイドの責任に目を向ける事もせず、廃校になる学校に対し、定員が割れるような学校は魅力のない学校とテレビの前でコメントしたことも同じ発想では無かろうか?


更に思い出す高津高校でのあの事件。

飲酒をした運動部員を退部にし、子供達が犯した過ちを子供達に責任を取らせて終わらせようとした民間人校長。


『四重苦。ある生徒指導部長の話。 』

https://ameblo.jp/kondayao21/entry-12334689937.html


または

授業中のケガで謝ると自分に落ち度が無くても責任をとらされるから謝らないという教師の風潮についても思い出す。


『謝る教師。謝らない教師。教師の心のツボ』

https://ameblo.jp/kondayao21/entry-12386789257.html



起こった事象に対して多角的な検証姿勢がより良い対策を構築する事は言うまでも無い。責任問題ばかりに囚われると多角的な原因追求の対象からまず自分を除外したくなる。


不必要で過剰な責任追及に躍起になるマスコミや世間にも問題はあるが、そんな世の中だからこそ


取らされる責任に萎縮せず、
任された責任に気概を感じる。

そんな組織の空気感を作れるのがトップの資質。

自らに反省のベクトルを向けれ無いトップに人徳のピラミッドは築けない。


こんだ直人教育研究所
 
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