令和の教育文化の創造は求めらる。
私の原点となる公教育の違和感を書き留めたい。
令和元年8月15日
平和な風景が広がる大阪平野を
高安山の麓から眺め考える。
我々は本当の戦争の歴史を学んできたのか?
恣意的で歪曲に満ちた公教育に
洗脳されてはいないか?
今日の繁栄の礎を忘れてはいないか?
自分のために生きることと
国や世の中のために生きることの調和が
今こそ求められる令和の新時代。
こんな平和な風景も
誰かの我慢と頑張りで成り立っているような気がするのは私だけでしょうか?
皆平等に調和を求め
行動できているのでしょうか?
少なくとも国のために生きよ、
とは学校では教えてくれない。
国のためにも生きよ、
とも教えてくれない。
自分を大切に!
こればかりが耳につく。
国のために命をなげうった時代から74年。
自分の人生と世の中のために生きることの調和を訴えずにはいられない。
まず今足りないのは
「世の中のために」の方ではないでしょうか?
戦時中の出来事を全て戦争というフィルターを通して偏見で見る事の愚かしさについて書きました。
『戦争というフィルターについて!八月十五日の思いを孫子の代へ! 』
一昨年は広島を訪れ感じた日本の平和教育の間違いについて書きました。
『間違いだらけの平和教育。“戦争を知らない子供たち” の思い。平成29年8月15日。 』
三年前は生活文化として日本人の心の拠り所となる神様仏様について向き合わない公教育について書きました。
『8月15日を過ぎて思う。教育と神道。 』
令和の御代替りがなされたいま。
恣意的な偏向教育から脱却し、公の精神に満ちた
国の礎となる公教育か今こそ求められる。

