昨日は人と人の人間関係の問題を
暴力の否定は正しい。ただ、その様態はさまざまで、
信頼関係の有無は、罪の大きさを測る重要な要素となり得るというもの。
何度も言う体罰を容認せよと言っているのではありません。
このような考えを馬鹿な暴力教師が勘違いをして免罪符として利用し、
暴力の助長につながるという意見があることも重々知っています。
この意見こそ責任逃れなアバウトな論調です。
このようなアバウトな論調では
繊細で多様な教育現場では現実通用しないことなど御構い無し。
しかも暴力や体罰という言葉の精査無しにマスコミは報道し、
自称教育評論家などはコメントを発信しています。
多様な体罰の有様すべてを一くくりにして、
全ての体罰行為が酷い暴力行為が
同等な扱いを受けていることは正しいことではありません。
それぞれに応じた罪の深さがあるということです。
昨年の今日こんなブログを私は上げていました。
『福岡市高校生暴行動画を見て 』
https://ameblo.jp/kondayao21/entry-12315853004.html
昨年マスコミが大騒ぎした事件です。
教師としての腹の括りとしてこんな事を書いています。
生徒や教師に殴り掛かる生徒がいたら
例えそれが体罰と言われようが
手段を選ばずその生徒を制止する。
今、まさに
人に殴り掛かる者を
誉めていかに止めれようか?
言葉でいかに制止できようか?
体を張って割って入り、
羽交い締めにしてでも止める。
引き倒してでも取り押さえる。
必要とあらば
それが体罰だと言われようがそうする。
絶対に
生徒に被害者を作らず
生徒を加害者にも犯罪者にもしない。
自分が体罰教師として罰せられれば良い。
己が為のコンプライアンスか?
生徒の為のコンプライアンスか?
答えは自ずと決まってくる。
すべての教師に腹を括れなどと求めるものでも当然ありません。
しかしマスコミの論調に乗せられず、
世間が
信頼関係や守るものは何かなどが、
罪の大きさを測る重要な要素となり得る事を理解していただければ、
腹をくくって生徒の為に頑張れる教師も増えて来ようと言うもの。
逆に
このような行為の精査が
なんの生徒に対する愛情も教育に対する使命感も無く、
感情のはけ口や己のプライドの為だけに
深き重き罪を犯す教師にピンポイントで
改善を促していく事に繋って行くのです。
世間の方々は
マスコミのレアな例を一般化したような
端的な論調に煽られず、騙されず。
逆に端的な論調に釘をさす
存在でなければ、
正しく、賢い世間でなければ
世間が国を傾けてしまいます。
教育現場の方々も
もう、こんな時代だから
このご時世だからと諦めず、流されず、
マスコミの論調に間違いを
このご時世だからこそ
発信、行動せねばならぬのでは無いでしょうか?
複雑な教育現場の空気感。
生徒の為に何が今、必要か?
マスコミの答えが模範回答でないことは
現場の皆さんが一番知っているのではないでしょうか?
こんだ直人教育研究所

