なぜ?教師は誰も守れなくなったのか?生徒を守り自らを守る教師とは? | 世に棲む日々。(教育講演、研修、相談)

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おもしろきこともなき世をおもしろく
すみなしものは心なりけり

また、嫌な事件が起こった。

 

教師二人に暴力を振るった中学3年生が逮捕された。

 

東海テレビの報道によると

 

授業中教室を抜け出した生徒を連れ戻そうとした教師二人に殴る蹴るの暴行。

 

警察には学校から暴力を振るった生徒を捕まえたと連絡が入り生徒を逮捕。

 

教師二人には大きな怪我はないと言う。

 

いつものことながらいたたまれない気持ちになる。

 

憤りと大きな疑問が沸き起こる。

 

本当にこれで良いのでしょうか?

 

生徒と学校との間にこれで信頼関係は築けるのでしょうか?

 

細かな経緯がわからぬので疑問と言葉を濁したが、

 

昨今の

 

暴力沙汰は警察通報との安易なマニュアルの運用は大きな間違い。

 

もちろん警察と連携して青少年の育成にあたることは必要なことです。

 

指導に指導を重ね一つの手立てとして警察やその後の鑑別所から保護観察処分や少年院送致など

矯正の道を視野にいれることも一つの選択肢には違いありません。

 

例を挙げれば

 

薬物に手を染めた教え子などには学校でできることは少なく

 

医療機関や警察とも連携して本人の更生に必要な処置が求められます。

 

また、有ってはならぬことですが

 

日常の教育の至らなさの結果として

 

現実問題として秩序が崩壊し抑止力を失った学校や教師が

 

他の生徒を守るために必要最低限の処置として警察の力を借りることは致し方ない。

 

しかしそこには

 

警察に逮捕を求める判断の根底に

 

社会に戻った時、学校に戻ってきた時

 

学校や教師として、その子を最後まで面倒を見る、最後まで支えきるという教育的愛情と使命感が伴った教師としての矜持がそこに求められるのです。

 

鑑別所や少年院に送致されている間もしっかり寄り添ってやらねばならないのです。

 

それがなければただの役所のたらい回し

 

私は幸いなことに自ら生徒を警察に突き出したことはありません。

 

しかし、学校外で事件を起こし、警察や鑑別所・少年院のお世話になった生徒はたくさんいました。

 

そんな生徒が社会に戻れるかどうかは、

 

家庭と共に学校という居場所があるかどうか、

 

受け皿としての学校があるかどうかは大きな判断材料となってきます。

 

保護観察となるにしても受け皿となる学校があるかないかは

 

家裁での審判の大きな要因となっています。

 

安易に警察に突き出された生徒と学校や教師にお互いの絆の構築など私には想像がつきません。

 

学校では手に負えませんと警察に突き出した教師や学校がその子の受け皿になれるとも思えません。

 

警察に拘留され鑑別所に送られ少年院に送られるなど、

 

痛い目に合わねばわからぬ子供がいることも現実です。

 

しかしそこに至る経緯の中で教師や学校が本気でどれだけその子に体当たりしてあげたのでしょうか?

 

学校や世間は叱ることはせず誉めて育てることに傾斜しています。

 

自分は子供に指導もできず、𠮟ることもせず、懲らしめることもせず、

 

手に負えなくなると警察にたらい回し。

 

それではその子は学校や教師に見捨てられたも同然。

 

子どもが目の前で罪を犯そうとしていれば

 

体を張って止てあげねばなりません。

 

心を張って寄り添ってあげねばなりません。

 

たとえ生徒に力で負けようとも

 

「お前の間違い何が何でも気づかしたる」と

 

「一生付き合ってでも寄り添ったる」と

 

本気で子どもに向き合ってあげねばなりません。

 

それが教師の矜持というもの。

 

そんな心ある教師に生徒は信頼をよせる。

 

そんな矜持ある教師が警察に教え子を突き出すことはない。

 

腕をつかんだだけで体罰と言われ

 

羽交い絞めにして抑止しても体罰と言われ。

 

大きな声すら体罰と言われるこのご時世。

 

だからどうしたというのです。

 

それで揺らぐ心根ではプロの教師はつとまりません。

 

体罰をセーフにしろと言ってるのではありません。

 

生徒や教師にいじめや暴力の被害者を出さず、

 

何より生徒が目の前で加害者になることを犯罪者になることを、

 

教師は防いであげねばならないのです。

 

そんな矜持のある教師についてこない生徒はいない。

 

日常で叱ることを封印された教師たち。

 

身体を張ることを封印された教師たち。

 

矜持のある教師が

 

何をどう𠮟ろうが

 

何をどう体を張ろうが

 

子供たちは感謝します。

 

そんな矜持ある教師は生徒や保護者からの信頼を勝ち取り守られます。

 

教師と当該の生徒の絆を越えた第三者が

 

やれ自尊感情だ、体罰だと横やりを入れてくる昨今に

 

自分の身分を守ることを優先するか?

 

生徒を守ることを優先するか?

 

学校の働き方改革だと声を上げ

 

広義の生徒指導と全人教育を投げ捨て

 

塾の講師のような教科指導の世界の中だけが教師の仕事と平気で訴える流れに乗るか。

 

その選択、矜持のある無しが

 

生徒を守り、学校や同僚を守れる教師であるかどうかの分かれ目なのです。

 

矜持ある教師は守られる。

 

教師が自分の身を守るとは

 

自分の保身に走ることではなく

 

生徒を守ることを何よりも優先する

 

そんな矜持に基づく行動をとることなのです

 

そのことだけはこれから教師を目指す若者には伝えておきたい。

 

現役の教師にも確信をもって伝えておきたい。

 

こんだ直人教育研究所
近田直人