明治5年8月2日学制を発布、
全国を学区に分けそれぞれに大学校・中学校・小学校を設置することを計画し、
身分・性別に区別なく国民皆学を目指した。
教育勅語の良し悪しの議論はさて置き、
国家としての確固たる信念とベクトルがそこには見えた。
世間としての共有の価値観がそこにはあった。
「公」を大切にする姿勢や意識は時代が変われど現在にも通づる価値観です。
国家が教育を通じ責任を持って世間の在るべき市民感覚の共有を図った。
平成のこのご時勢。
価値観の多様化に振り回される教育界。
個性豊かな多様化した時代であれば有るほど、多様化の基礎と市民感覚の共有が求められる。
自分を大切にする事と世間や公を大事にする事のバランス感覚が肝要となる。
このバランス感覚が根幹となり個の多様性が花開く。
マナー、モラル、道徳観と言い換えても良い。
このバランスの崩れが世の歪みとなっている事にバランス感覚の有る善良な市民は気づいている。
しかし、バランスを欠いた個人の声高な権利主張や蛮行に善良な市民はサイレントとなる。
サイレントマジョリティ(物言わぬ多数派)を尻目に、
学校や教師はイレギュラーな声高な主張に振り回される。
時としてマスコミも現場にそぐわぬ価値観を突きつけ声高なエゴを後押しする。
このバランスの崩れが我が子へのDVや社会的弱者への攻撃として善良な市民に牙をむく。
今、公教育、学校を救うのは社会の空気、
市民感覚の再生以外の何ものでもない。
子供達はこの学校や教師の弱腰に気づいている。
学校や教師に代表される大人達の叱れない弱さに気づいている。
腫れ物に触られるような自分たちに気づいている。
その心地よい温室生活を満喫する。
弱い立場の子供を大切に守る事は当たり前。
しかし
ダメな子供を叱ってあげる事は当たり前ではなくなりました。
この社会が持つ単純な歪みを改善する事で世のトラブルや悲惨な事件は無くなるのです。
皆さんの責任ある一声、チョットした一歩の踏み出しが世直しとなるのです。
正しい市民感覚の後押しによって
学校や教師に教育は委託されるのです。
その意味、平成の教育は市民社会が行うといっても過言では無いのです。
当然現場の教師に気概と正しい感覚が求められるのは大前提では有りますが。
自著「自慢の先生になってやろう!」
世間の教育を取り巻く空気を変えるため、
正しい市民感覚の共有のため信念を持って書きました。
拡散ご協力宜しく御願い致します。
こんだ直人教育研究所
近田直人