21年の今日のお爺の夢再録と私感 | どんぐりの小径

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徒然に気まぐれに

やっと気持ち的に日記を書こうという余裕が出て来ました。

GWに旅行に行きました。

 

帰ってきた5日の夜、

長い付き合いの方の奥様が急死なさった連絡があり大ショック。

9日の一日葬という葬儀に出ましたが、あまりに突然のご逝去に

ご家族の方も事態を受け入れらないご様子が辛かったです。

 

10日から13日まで奈良に出かけていました。

当然、戻ってすぐに会社です。

おまけに所属していボランティアの季刊誌の原稿依頼がありました。

締め切りが一週間なので、今、雛形だけでもと思い書きました。

ほぼほぼ文字数はクリアしたので、後は校正です。

 

今日はこれからお寺さんに行ってきます。

週末も用事があります・・・やれやれ・・・

自分で予定を入れたのですから、仕方がないのです。

ブログの昔の記事に21年のものが載っていました。

読んでみると、今でもそうだな~と思えるので転記しましす。

 

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2021年5月16日(土)

今日は雨が降ったりやんだりまた降ったりの一日でした。

公園には昨日行ったので、今日のわんこの散歩は近場でした。

やはり2日休みがある週の土曜日はのんびりできます。

 

普通のサラリーマンさんは当たり前か~

お爺が逝って、GWが明けて仕事始めて、最初の週末でした。

気持ちがいろんな経験をしたことで疲れているのでしょうね。

それとやはり家が広いのですね。

(追記:23年にお婆も逝きましたから、今は更に広いです)

 

家族が一人いなくなるということはこういうことですね。

最近の若い人たちだけの家庭では、自分の親や祖父母などの

お年寄りは既によそ者であり他人ですから、こういう感覚は理解できないでしょう。

分かっていて覚悟はしていましたが、家が広く、寂しいです。

(追記:私と同じ年代の方でもかなりケロッとしている人が多いのに寂しさを覚えます)

 

こうして人間関係が一つずつ消えていくんですね。

近所の方々も随分先にいってしまいました。

東京でも私の住んでいるところは郊外の住宅街ですから、

近所付き合いがまだ残っていたのです。

徐々にマンションが建ち始め、建売ばかりになって、若い方々は自分の家から出てきませんし、

共働きなのか、玄関前を掃いている人を滅多に見かけません。

いつの間にか日本は随分貧しい国になってしまいましたね。

立派なマンションや建売に住んでいても、

働き続けなければ生活が成り立たないなんて貧しい生活だなと思います。

 

家のサイズもギリギリのサイズに成り下がっていて、

これっぽっちも余裕がない狭さになっている。

建売なんて、道路側の家と奥側の家の土地の切り取り方を見ると暗澹たる気分になりません?

いつからこんな情けない区分けをするようになったのか?

 

本当に日本はもうダメでしょう。

日本が駄目になるところを今の年寄りに見せたくないです。

戦後の日本を復興してくれた方々に没落していく日本を見せたくないです。

(追記:二極化が進んでいることの実感が最近とてもあります。みなさん、分かりますか?)

 

そういう意味では、お爺が逝ってくれて良かったです。

今朝もまたお爺の夢を見ました。

どうしたことでしょう。

 

お爺のベットかソファに私が腰かけています。

お爺の顔が、私の左肩のあたりにあり、息が少し苦しそうです。

あれ?お爺は死んだんだよね、なぜ、今、苦しそうにしているのだろう?と思いつつ、

状況を把握しようとお爺を観察しています。

そばに義姉がいるらしく「〇ちゃん」と声をかけながら、お爺を見ていました。

それだけの夢です。

他にも何か別の夢を見ていたのですが忘れました。

 

最近は時間ができたので。Sさんの動画を聞いています。

なんとなく分かってきて、少し焦りだしたので、

夜中に動画をつけっぱなしにして聞いています。

そのせいで夢を見るのかもしれないです。

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以上です。

最近、氣がついたことは

仏壇の前にいる時間が以前の10倍になったという事です。

 

10年くらい前に近所のおばあさんがうちに来た時、

仏壇のお花が枯れていると言われたのです。

言われてから氣が付いたのですが、何となくバツが悪かったです。

 

その時のことを思い出して、

今は枯れた花に氣が付かないことがないな~と氣がついたのです。

彼女は旦那さんが既にお亡くなりになっていました。

しなければいけない事はほとんどなく、一日中、家にいられました。

きっと彼女も今の私以上に仏壇に意識を向けていたのでしょう。

 

夜のお茶やご飯を上げた後、

私はその日に会ったことを仏壇の前に座って話します。

両親の写真に向かったり、先祖のお位牌に向かって話しています。

 

一か月の間に数日間、先祖の命日に般若心経を唱えてます。

仏壇は故人のためのものでもあり、

生きていく生者のためのものでもあると実感しています。

 

仏壇なんて要らないって思っている人、結構いますよね。

それはそれでいいんじゃないですか・・・と思います。

そういう方々は恐らく感謝というものが分かっていないのだと思います。

 

「失礼な!」と怒る人もおいででしょう。

そういう人こそ分かってないのですよ(二極化ですね)。

で、もうそういう人を相手にするのは時間の無駄で面倒なのでやめます。

ではでは。