☆コナナの妊活物語☆高度乏精子症のダンナくんと家族になるまで -2ページ目

☆コナナの妊活物語☆高度乏精子症のダンナくんと家族になるまで

わたし35歳、旦那クン43歳で始めた妊活。
 ★★★ 『家族』になるまでの徒然日記 ★★★
顕微授精を経て、2016年2月2日に待望の第1子出産。
私36歳、旦那クン45歳でした。

現在は初めての子育てなどをゆるーく書いてます。


ここからはいろんなことがバタバタ進んだ。
分娩室には3人の産科の医師、
新生児科の女の先生
麻酔科の男の先生。
助産師3人。

こんなに多いの?って思ったけど。

いきみ方の説明を聞き、
陣痛に合わせて、トライする。

全員、私を励ましながら
新生児科の女の先生はうちわ片手に。
足元にいる私の担当の先生は
すぐそこにある赤ちゃんの頭をつかもうと
しながら。
頭を持ち上げながら
『よしいけー!もうすぐだぞー!
頑張れなな!』と恥ずかしいくらい
励ましてくれる旦那くん。

約1時間、粘りましたが
出てきてくれませんでした。

そして、また先生は申し訳なさそうに
帝王切開にする移行を伝えた。
でも、私は満足だった。
ここで、なんか達成感が沸いた。
先生にお礼を言っていて
旦那くんにもお礼を言って
帝王切開の緊急手術の準備が始まった。

『やっと会える』

初めての入院。初めての手術。
オペ着に着替えたり、毛を剃られたり
いろんな準備をして手術室へ。
すでに、オペチームが待機していた。

麻酔科の先生がすぐそばで色々説明してくれる。
淡々と書いているが…
この間にもずっと陣痛はあって、
ほんとにこれが辛かった。

麻酔が効いてくると陣痛も楽になるよー
その頃にはひとりで動けないほど
麻酔は効いていた。
ずっと手を握ってくれてた看護婦さん。
頭の上で、私を励ますためになのか
意識の確認なのか
ずっと話しかけて、実況してくれる麻酔科の先生。

もうすぐだよ。
もうすぐ出てくるよ。

私の体が少し大きく揺れて
わぁーって看護婦さんたちの声が聞こえて


大きな初声。

産まれた…。



おめでとうございまーす
大きいよー!

手術室に響く大きな産声。
と、私の泣き声。

私は周りを気にせずに大きな声で泣いた。
子供みたいに泣いた。

そして、ご対面。
目を大きく開いて、眠そうにして…
『ママそっくりよー』
って看護婦さん言ってたね

今でも産声を思い出すと
涙が止まりません。

破水、陣痛、吸引、帝王切開。
すべてフルコースで体験させてくれた
わが子。

茶色だった羊水は
後の病理検査で、少し感染してたことが判明。
胎児には影響はなかったが
胎盤の役目が終わった証拠ということらしい。
そーだよね。
妊娠糖尿病もあったから
疲れたんだよね、私の胎盤。

そして、深呼吸。
しっかり酸素を送れたおかげで
赤ちゃんが弱ることなく
フルコースいけたこと。
これは先生も褒めてくれた。
ヒッヒッフーなんて、必要ない。笑
友達に感謝。

2ヶ月たったけど
まだ鮮明に覚えてる出産記録。

私が守っていたこと。
それは楽しむこと。
笑った人が勝つんだ☺︎︎

いつか、大人になったあんに
どうやって産まれてきたのが話してあげたいと思う。
今、そばでスヤスヤ寝ているあん。
あなたに会えたのは
奇跡です。



 朝8時ちょうど。
なんと朝食が運ばれてきた。

えー?!食べるのー?!

破水から5時間。
お腹の痛みは強くなっていた。
やっぱり生理痛のすごいバージョンで
痛い時は、目をつぶって手が止まるほどレベル。

ただ、私は深呼吸をやめなかった。
親友が出産前に、

コナナよ。深呼吸は身につけなさい。
赤ちゃんにもきれいな空気を送ってあげるイメージで。
鼻から吸って、口から細く吐く。

という、熱い教え。
病院で教わった呼吸法は無視して
私は深呼吸で最後まで耐え忍んだ。

痛みのレベルはどんどん上がってくる。
定期的に来る陣痛。
その度に、深呼吸して痛みを逃す。
そして、脱力。
誘発のために何回か注射をしながら
17時まで、耐える。
12時には子宮口4センチ。
15時には6センチ。
17時には9センチになる。

15時頃に旦那到着したが
会話はツンケンさせてもらった。
だって、もう結構痛かったから。
体位もひとりでは変えられなくなっていた。

そして、何より辛かったのは
2時間ごとにくる、先生の内診…
陣痛は深呼吸で耐え忍んでいたけれど
内診は、あまりに痛くて
エクソシスト張りに唸ってしまった…

17時に、
あと少しだよ!ほとんど子宮口あいてるからね!と言われたが
その二時間後、進んでいなかった。
すでに、半日も陣痛に苦しんでいたので
痛いのにも関わらず
眠気と疲労で、あまり記憶がない。
喉が乾いて、痛みのためか貧血気味だった。

もうすぐって言われてから
3回くらい内診して、
20時、先生がやって来た。

実は17時くらいから、子宮口が9センチくらいで止まっている。
赤ちゃんの頭も完全に下がっていない。
このまま、自然に分娩は難しくなってきた。

まじー。もうなんでもいいです…
って言いたかった。

ただここまで頑張ってきたから
出るかどうかはわからないけれど
引っ張ってみる選択肢はある。

このまますぐ帝王切開するか
1度引っ張って、頑張ってみるか

先生は申し訳なさそうに二つの選択肢を、提示してきた。

ほんと、頑張ってきた。
陣痛が始まってからじゃなくて、
命を授かってから、
この子が病気にならないように
健康に産めるように

先生はずっと管理してくれて
私も管理してきた。

自然な形をと、先生はいつも言っていて
ここまで支えてくれた。

先生に聞いてみた。
『出るかどうかはわからないけれど
ここまで頑張ってきたから
かけてみたい。

私は先生の言うとおりにした。
旦那くんも賛成だった。

時刻は21時。
いざ、分娩室へ。

 ブログを最後に書いたのがAM2:30。
そして、病院に行くために車に乗ったのが
3:00ジャストだった。

病院までは車で10分程。
陣痛なんてへのかっぱで、
それよりもダラダラ止まらない、羊水の方が気が気でならなかった。
ずっと出てる感じと
グロテスクと言っても過言ではない、
羊水のあの色…。みどりと茶色みたいな色。
透明とは程遠い色だった。

ERから入って、看護師さんが迎えに来てくれた。
お腹は痛いですか?
痛くないです。生理痛程度です。
まだまだですね☺︎︎
お水が出てる感覚が半端ないです…
茶色なんです…

そんな会話をしながら
病棟の診察室へ。
産褥シートLサイズは半端なく大きくて
後に助産師さんが
破水した時と出産した直後しか
Lは使わないよーって言われていたものの、
あまりに大きくてオマタでごわごわしていたけれど

内診台にあがる準備のため
それをしたに下ろすと、全然止まらない
私の茶色い羊水…。床にまで到達。
もう、どうにでもなれ。

内診の結果。
完全破水ですねー。入院ねー。

そのまま陣痛室に。
汚した床が気になるが

ごめんなさいと何回もいって
ベッドに通される。

陣痛室は4つ、ベットが並んでいて
一番端っこに通された。
反対の端っこに、1人妊婦さんがいて
うーうーうなっていて
緊張感が高鳴りまくり。

荷物を置いて
入院の手続きなどは付き添っていた
母と旦那に済ませてもらい
その間わたしは点滴ルートの確保やら
採決。
モニターの取り付け。
気づけば4時を回っていた。

看護婦さんが。
『ご家族の方、帰っていただいていいですよー☺︎︎まだまだ産まれないから☺︎︎』

旦那くんは外せない仕事のため休めなかった。
母はまた朝来てくれた。

そして、こっから陣痛が始まった。
18時間も耐えることになるとは…。