第76話 白い虚像【2】
アルコールで病院にお世話になった団員は結構いるものと推察されますが、我が大学周辺であれば摂津本山駅から2号線に下りた辺りにあるM病院、また阪急御影駅の北側にある創設者と名称が我が校と同じK病院(現在はK医療センターという名称になっているそうであります)が定宿でありました。
また三宮、新開地での有事の際にお世話になったのが新開地のY病院であります。昭和40年代前半までのY病院はある意味で有名な医療機関でありまして、因果関係は分かりませんが(と言うより分かりたくありませんが)切り傷、刺し傷、或いは何かしらの金属片が体に埋まった患者さんが夜な夜な運ばれて来る事で有名だったのであります。熟練の医師がおられたのでありましょう。その血みどろの廊下に急性アルコール中毒で学生服姿の大学生が運び込まれて来た日には、廊下の長椅子で兄貴分の安否を気遣う若い衆の顰蹙を買っていたであろう事は想像に難くありません。酔っぱらっているとは言え凄まじい度胸であると言えましょう。ところが運び込んだ団員達は暢気なもので
「先輩、この病院にあいつを入院させて、兄貴分が死んだりしたら怒り狂ったあの連中にエライ目に遭わせられないでしょうか?」
と下級生が問えば
「大丈夫や。多少シバかれたところでここは病院や。すぐに治療してくれるわ」
と上級生は意にも介さぬのであります。
また三宮、新開地での有事の際にお世話になったのが新開地のY病院であります。昭和40年代前半までのY病院はある意味で有名な医療機関でありまして、因果関係は分かりませんが(と言うより分かりたくありませんが)切り傷、刺し傷、或いは何かしらの金属片が体に埋まった患者さんが夜な夜な運ばれて来る事で有名だったのであります。熟練の医師がおられたのでありましょう。その血みどろの廊下に急性アルコール中毒で学生服姿の大学生が運び込まれて来た日には、廊下の長椅子で兄貴分の安否を気遣う若い衆の顰蹙を買っていたであろう事は想像に難くありません。酔っぱらっているとは言え凄まじい度胸であると言えましょう。ところが運び込んだ団員達は暢気なもので
「先輩、この病院にあいつを入院させて、兄貴分が死んだりしたら怒り狂ったあの連中にエライ目に遭わせられないでしょうか?」
と下級生が問えば
「大丈夫や。多少シバかれたところでここは病院や。すぐに治療してくれるわ」
と上級生は意にも介さぬのであります。
現在ですと理由はともかく学生がクラブ活動中に入院した、ともなれば結構な騒ぎになる事は必定でありまして、場合によっては廃部という可能性も考えられる深刻な問題でありましょう。それを考えますと昭和の大学のクラブ活動というものは、やっていた当事者からすればついこの間の出来事の様に感じられても、やはり隔世の感を覚えます。
事の良し悪しは置いておくとして、かつては急性アルコール中毒で入院という事になった場合でも、大学も父兄も対応がおおらかでありまして、話を聞きつけた学生課長は
「お前ら、ボチボチとやらなあかんでぇ。せっかくの酒は楽しく飲まんとなぁ」
と宣います。斯く言う課長氏が無類の酒好きとして本山界隈では有名であった事はここだけの秘密であります。
また翌朝、保険証を預かりに入院中の団員の家を訪れた同期の団員に対してご母堂は非常に申し訳なさそうに、保険証と入院費用を手渡して下さり、それとは別にこれから病院に迎えに行く団員氏に渡そうとされる交通費・食事代が入った封筒を固辞するのに一苦労するものでありました。
これらは大学のクラブというものに対して社会が一定の信頼を寄せていた為だと思われます。時として若さゆえの過ちがない訳ではないものの、成人した者が代表を務める大学のクラブである以上、ある部分までは大人として認め、例えば死人が出る様な無茶はすまい等、の一定の信頼関係があった訳であります。【以下次稿】
甲南大學應援團OB
八代目甲雄会広報委員会