この競技の応援に関しては古豪である関西学院大学が一日の長があり、友好関係にある関関同立は早期に体制を整えておりました。また京大も昭和56年には吹奏楽部を立ち上げ体制を作り上げていきます。と申しますのもアメリカンフットボールでは試合に各校の応援団が駆け付ける様になると太鼓の音がプレーの妨げになるという課題があったのであります。太鼓は使わず吹奏楽部の演奏を軸に応援を行う必要があり、また本場アメリカではチアリーダーは応援に欠かせない存在でありましたので、3部一体の応援が求められる様になった訳であります。
ところがアメリカンフットボールの人気が高まった時期は、応援団業界は未だ太鼓一張で応援を組み立てるスタイルの団が多かった為、即座に対応出来る団は限られていた訳であります。この時にこそ応援団連盟が存在していれば、業界としての統一見解を提示し、競技協会と折衝する事も可能であったと思いますが、現実はそうはなりませんでした。
我が校に目を向けますと、アメリカンフットボール部の歴史は古く昭和30年に関西6番目のチームとして発足しております。太鼓の問題がクローズアップされる昭和50年代後半までは五月雨的に応援には駆け付けており、個人的に親しい部員がいたり等、友好関係にありました。
【昭和49年11月 対関西大学戦】
応援組織としては学内には我が応援団と、アメリカンフットボール部の下部団体として昭和59年にチアリーダー部が発足しておりますが、吹奏楽部は応援団にも文化会にもない状態でありました。チアリーダー部も応援団とは別個にアメリカンフットボールの応援を行いたいという有志で発足したものであります。
昭和60年頃よりアメリカンフットボールの応援について応援団とアメリカンフットボール部内チアリーダー部との協議が始まり、合同応援が開始されます。ただ吹奏楽部がない事が最大の課題となり、元来の意味で2部が一体となった応援は出来ず終いでありました。【以下次稿】
【昭和60年 甲南大学グランド】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会