社会的な変革があった昭和40年代から50年代初頭にかけては、若者向けに所謂「スポ根」ものが流行りました。野球や空手、ボクシング等を舞台にした漫画、アニメで多くの少年青年の魅了した訳であります。またその影響を受け、実際にその競技に身を投じるものも少なくありませんでした。これは所謂「男を磨く」という価値観に魅了されていたのであると考えれます。
この価値観というのものは一過性のものではなく、意外と根深く中世の武士道に繋がるものであり、それが故に日本人にとって非常に親和性の高い文化なのであります。「押忍」の起源を「葉隠」に求めたり、特に武道関係、応援団ではこの文化の後継者である事を自負していた側面がございます。
ただ武士道という価値観は、特定の競技であったり行動様式であったり、というものではなく一人の男子としての生き方の問題でありますので、その解釈や適用範囲が各団まちまちだったのだと思われます。ただまちまちであるものの底流は同じである訳でありますし、価値観の多くは共有出来るものであったため、時には好敵手として競いつつも、胸襟を開き生涯にわたって付き合いをする様な人間関係が生まれたりもする訳であります。
全く関係がないとも思える任侠映画が当時、爆発的な人気を呼んだのはこういう背景があるからこそであり、決して偶然ではない訳であります。
【團員のバイブル三島由紀夫著「葉隠入門」】
そうした中、応援団の在り方や運営について方向転換を余儀なくされる様な事象が散発的に起こり各団で見直しが迫られ、以降、断続的にそういう取り組みがなされる様になります。その中で大胆に切り捨てていったものもある訳でございます。
その後、団勢が衰退していく団が相当数あった事から考えますと、やはり切り捨てたものの中に応援団の根幹に関わるような大事な何かが含まれていたのではないか、と考えてしまう訳であります。【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会