神戸には神戸三社と呼ばれる神社がございます。就中、初詣客が多い神社なのでありますが、東より生田、湊川、長田の三社でございます。
生田神社は本ブログで度々、取り上げておりますが、神戸の繁華街三宮の街中にある神社であります。加藤隆久宮司は我が校の卒業生でありまして、我が團の創設者 本多孝雄二代目團長と同級生の間柄であります。その関係で奉納乱舞、節分祭、幹部交代式等で年間に何度か出入りさせて頂いて居りました。團旗を新調した際も生田神社で入魂式を執り行うのが通例でありました。
生田神社は本ブログで度々、取り上げておりますが、神戸の繁華街三宮の街中にある神社であります。加藤隆久宮司は我が校の卒業生でありまして、我が團の創設者 本多孝雄二代目團長と同級生の間柄であります。その関係で奉納乱舞、節分祭、幹部交代式等で年間に何度か出入りさせて頂いて居りました。團旗を新調した際も生田神社で入魂式を執り行うのが通例でありました。
最もご縁が薄かったのが我が校より最も遠方にあった長田神社でありまして、数えるほどしか活動履歴はありません。
その中間にございます湊川神社は距離も関係性もちょうど上記二社の中間になります。
ご存知の通り湊川神社は楠木正成公をお祀りする神社でありまして、大楠公の御命日である五月に毎年、楠公祭が開かれまして、周辺には大楠公や楠木家の菊水の紋に因んだ地名が散見されます。余談ではありますが、湊川神社前にある菊水の紋を捺した瓦煎餅を販売しております菊水煎餅は我が團のOBが営んでおります。


湊川神社では上記の楠公祭、或いは神社の記念行事等に参加させて頂いて居りました。同社に伺うと、長く同社の権宮司を勤められた酒井利行さんの楠木正成公に関する講話を拝聴するのが常でありました。いかんせん長い話でありますので。足の痺れとの戦いに苦戦する團員が散見されました。
戦後の教育では戦前の反動で大楠公に関する記述が乏しく、余り御存知ではない方も多いと聞きます。関東の方でしたら、皇居外苑南東の一角に花崗岩の台座に据えられた騎馬武者姿が楠木正成公の像なのであります。
元弘3年(1333)鎌倉幕府の勢力を駆逐した楠木正成公が、隠岐島から京に還幸する後醍醐天皇をお迎えすべく河内より馬で駆けに駆けて、現在の神戸市兵庫区周辺で帝の列に出会った大楠公が慌てて手綱を引いている姿であると言われております。皇居の護りを考えた時、大楠公は外せないという事なのでありましょう。
結果的に思い出の地である神戸で大楠公は壮絶な最期を遂げられます。我が團はその生き様、志を継承すべく精進せんと思って活動しておりましたが、志半ばで現状を迎えている事を猛省せねばなりません。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会