京都外国語大学應援團 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

現在、活躍中の京都の大学應援團の中で、龍谷の名前があるのは應援團関係者にとっては感慨深いものがあると思われます。龍谷大学ではかつて勢威を誇る應援團がありましたが、内部抗争が勃発し三派に分裂、その後、昭和40年代半ばまでに3社いずれも解散、という歴史がございます。

そして平成25年に復活するまで凡そ半世紀の歳月がかかりましたので、奇跡の復活と言われる所以であります。故にこの空白の半世紀の間に應援團に籍を置いた者は、龍谷大学=應援團がない、という認識でありましたので、現在、龍谷大学に應援團があるというのは実に喜ばしい事なのであります。
 
そんな一大勢力を誇る京都勢も順風満帆な訳ではありません。知る限りでも京都府立大学、佛教大学、京都外国語大学、花園大学等、過去、活躍していた應援團の名前を見る事が出来ません。特に京都外大は早期に活動を休止されたため、健在なりし時の活躍を御存知でない應援團関係者も多数いらっしゃいます。

京都外国語大学は現在でも学生数が5千人に満たない、規模としては決して大きくない大学であります。手元に昭和41年当時の同校應援團の資料がございますが、團員数は約40名となっております。当時の学生数を4千名と仮定すると全学生100人のうち1名が團員という計算になりますので、学内で相当の勢威を誇っていたものと思われます。

以前もご紹介させて頂いた関西特有の腰の辺りに團バッジを付けるスタイルですが、写真で確認できる限りかなり大きなバッジを付けていた様であります。
【平成19年京都外国語大学校友会広報】
かつてこういった独自の文化を持つ應援團が各地に存在しておりました。その一例をご紹介させて頂きました。またこういった例がありましたら、御紹介申し上げたいと思います。
【昭和41年京都外国語大学應援團】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会