前回、掲載させて頂いたサンデー毎日の記事に関する補足事項を記したいと思います。
立命館大学応援団の団員の学生服の第4ボタンと第5ボタンの間のやや右手に楕円形の物体が確認できます(太鼓の団員が分かりやすいかと思います)。これが同団の団バッジかと思われます。立命館大学も長らくこの位置に団バッジを付けていた様に記憶しておりますが、関西では元々、ここに団バッジを付ける団が多かった様です。我が團も昭和45年頃までは同様でありました。
平成初頭の段階でこの位置に団バッジをつけていた応援団は、写真の立命館大学、大阪商業大学、佛教大学の3校だった様に記憶しています。インターネットで確認する限り、大阪商業大学のみは現在でも継続している様です。
写真が掲載されている当時では上記3校以外にも大阪経済大学、大阪産業大学、京都外国語大学等も同様でありましたので、かなりレアという訳でもなく「そう言えばウチも昔はここに団バッジを付けてたなあ」と自団史を振り返る契機になったりしたものでありました。
重複しますが、関西では元々、この位置に団バッジを付けるのが一般的で、時代の変遷と共に胸ポケットに位置に移動したという流れがある訳であります。何故、この位置にバッジを付けるのか、その由来は定かではありません。また関東を始め他地域ではどうだったのか寡聞にして存じません。ご存知の方がいらっしゃればご教示頂きたく存じます。
ふと気になったのは、平成21年よりNHKで放送されていたスペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」において、陸軍の秋山好古大将を演ずる阿部寛が身に付けている軍服の(左右の違いはありますが)ほぼ同じ位置に徽章を付けております。應援團文化形成にあたって旧陸海軍の影響が多分に見受けられますので、何らかの関連性を感じた次第であります。
団バッジは団員にとっては極めて重いものでありますが、物理的にはそう大きな物ではなく、黒い学生服に着用する事もあって、写真等では確認し辛いものであります。手持ちの資料で比較的、過去の関西地区で一般的な団バッジの位置が分かりやすいものを掲載しますので、ご参考にして頂ければ幸いです。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会 広報委員会