舞子の晴俠 濱崎良晴先輩 逝く | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

十一代目甲南大學應援團團長 六代目甲雄会副会長である濱崎良晴(旧姓 藤井)先輩が本年1月12日、幽明境を異にされました。

弊團において十一代目(昭和39年度)という代は第二黄金期の幕開けの代と位置付ける事が出来る特筆すべき代であり、その総領として團のトップに君臨しておられた濱崎先輩の俠名を、我が團に籍を置いた者であれば一度は仰ぎ見る様な思いでお聞きしたものでございます。

【濱崎良晴先輩】

全国的に大学應援團が勢威を誇っていた昭和三十年代に我が團は解散という事態を迎え(昭和34年)、その後、様々な制約の中、活動的にも人数的にも苦戦を強いられていた我が團でありましたが、十一代目より1学年あたりの團員数が2桁台に回復し、総勢では50名という威容を誇るにまで至りました。十一代目から十六代目の間は、人数的にも充実しておりましたが、個性の強い團員が多く、そんな多士済々の集団を統括する團長には相応の器量が求められたものであります。

【11代目 濱崎團長(右)と松尾副團長(左)】

濱崎先輩は、懐が深く情誼に厚い、根っからの親分肌の團長でありました。引退後も同期の松尾先輩(七代目甲雄会会長)、金岡先輩らとOB会活動にも熱心であられ、現役團員の面倒を見ることを楽しみとなさっておられました。代目継承を終えた新幹部が、神戸西部の名勝・舞子の濱崎先輩のお宅に挨拶に伺うと、実に嬉しそうな表情で現役の活動報告に耳を傾けられ、一頻り話が終わりますと、近所のステーキハウスで腹いっぱいビフテキをご馳走して下さるのが常でありました。最寄の山陽電車西舞子駅のホームで、肉とビールで膨れ上がった腹をさすった記憶のある團員は多いのではないでしょうか。その反面、應援團道の筋道には厳しい先輩で、その薫陶を受けた團員は多数、存在しております。

【OB総会にて(左 濱崎副会長(11代目)右 松田事務局長(13代目))】

甲雄会においては明坂四代目体制では神戸ブロック長兼本家当番責任者、高部五代目、藤尾六代目体制では副会長兼総裁室長の要職に就かれ、同期である松尾七代目が誕生すると会長補佐として会活動に尽力されておられました。また自宅が、我が團の創團者であり一家一門の総領、甲雄会総裁である本多孝雄先輩が居を構えておられた塩屋の甲雄会本家の近隣であった事から、本多総裁の懐刀とも呼ばれ、甲雄会の本流とも言うべき神戸勢の、本多-藤尾と続く系譜の正当な後継者として活躍してこられました。

 

誰よりも現役應援團の再建を心待ちにしておられた濱崎先輩の訃報に接し、現執行部一同は自らの力不足を改めて思い知らされ、益々、活動に精進せねばならぬ決意を新たに致しました。

 

甲南数え歌の歌詞にも出てくる神戸の名勝・舞子の風景をこよなく愛しておられた濱崎先輩。遥か淡路を眼前に臨む舞子の地で、雲一つない晴れ渡った空の下、真紅の甲南大學應援團旗が翻る様を、目を細めて満足気に眺める濱崎先輩のお姿に想いを馳せながら、偉大な先輩の御冥福を衷心より祈念申し上げる次第でございます。

【舞子より淡路を望む】

合掌

 

甲南大學應援團OB会

八代目甲雄会本部