渡瀬恒彦の思い出 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

昨日の渡瀬恒彦さんに関する記事となります。

 

昨日、ご紹介した作品群での氏の演技には大変、感銘を受けましたが、後年、仁侠映画の一線から引かれます。

平成2年、久しぶりに出演され、親分役として「激動の1750日」で荒巻重信役を演じましたが、円熟味を増した演技は若手俳優の存在感を奪ってしまう程のものだったと思っております。


作品中盤で、自らの子分とそれを匿っていた兄弟分が一挙に討ち取られ烈火の如く怒り狂う演技には、上映当時、現役団員であった筆者がビクっとさせられた記憶があります。

当時、そのシーンで使用されていたテーブルと似た形状のテーブルが団室にありまして、「瞬間湯沸かし器」の異名を欲しいままにしていた(誰も欲しがらなかっただけなのですが)先輩が、事が起こるとテーブルを蹴り上げ「行け!行かんかい!」と怒り狂う姿に瓜二つでありまして、呑気に映画を観ているのを叱り飛ばされた錯覚に陥ってしまう程の迫力でありました。

基本的な事ではありますが、渡瀬恒彦さんは兵庫県で少年時代を過ごしておられた事もあり、関西弁が堪能であります。

一方、仁侠映画、就中、実録ものは神戸、大阪を舞台とする作品が多く、関西弁圏に住む者にとっては馴染み深い反面、役者さんのセリフが気になってしまう傾向があります。

 

昔の作品では言葉の言い回しは関西弁になっているものの、イントネーションまでは気にしていないせいか、ネイティブな者にとっては奇異に聞こえてしまうセリフが沢山あります。ここ一番という場面での決め台詞が、典型的な似非関西弁だったりしますと、忽ち映画の世界から現実世界に戻ってしまったりする訳です。

仁侠映画で言いますと、その点、関西出身の鶴田浩二、渡瀬恒彦あたりは関西弁を流暢に操り、観る者にとっては映画の世界に没頭出来る訳でございます。

 

こういった意味でも渡瀬恒彦は忘れ得ぬ俳優であると言えましょう。

 

蛇足ではありますが、上記の映画ですが、現実にあった事件をモデルにした作品でありますが、渡瀬恒彦が演じた荒巻重信にもモデルがおられまして、確認したところご本人はご健在との事ですので、敢えてお名前は伏せますが、この方が最初に仕えた人物の縁戚の方の多くは我が校に通っておられ、我が團も決して無縁ではなかった事もあり、この作品は記憶に残る一作となっている次第であります。

 

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