甲雄会会章制定 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

昨日まで昭和41年に開催された全日本学生應援團連盟 主催の第15回本部記念祭の記事を執筆させて頂き、最後に日本大学應援團を復帰させる会 様との奇縁に触れて決了させて頂いたところでありますが、またまた奇縁を発見しましたので、ご報告申し上げる次第でございます。


日本大学應援團を復帰させる会様のHPを拝見させて頂いて居りますと、活動をもう一歩前進させる目的で会章を制作されたとの記事 がございました。

実は我が会でも一昨年前に今一度、会員の結束を図り会勢の拡大を期し会名を定めたところでありますが、その第二弾として会章の制定がテーマとなっておりました。従来は甲南大学の校章を代用させて頂いて居りましたが、甲南大学各部OB・OG会の活動も盛んであられると聞き及んで居りますので、應援團OBの団結の象徴としての独自の会章の制定が急務であった訳であります。


日本大学應援團を復帰させる会様の会章を拝見しますと、名門 日本大学應援團で使用されておりました團バッジ のデザインを踏襲したものかと推察されます。我が團の場合、良く言えば先進的、悪く言えば飽きっぽい性格の者が多かったせいか、48年の歴史の中で團バッジのデザインは都合、5回変わっております。故に年代によって團バッジと聞いてイメージする物が異なる訳でありますので、新たに制定する必要がございます。


この点を踏まえ今回、制定された会章は、初代團バッジのシルエットを踏襲し、甲南の甲と我が團創設者である本田(多)孝雄先輩の本の字を組み合わせたデザインなって居ります。。天地を逆にすれば甲南の名の由来である六甲の六の字となるという意味合いもございます。

初代團バッジは現存しておりませんが、襟に付けるタイプで、時の本田(多)團長の実家である本多家で使用されて居りました、本の字を図案化した釣鐘型の紋を時の本多家当主より賜り使用させて頂いておりました。当時、團バッジを見た事がある先輩方のお話をお聞きした上で、デザインを一新し忠実に再現致した次第であります。創團の原点に帰る、という意味合いが含まれております。


バッジも一つのツールに過ぎませんが、我が團の歴史や意義を再認識し、現状を踏まえOB会員としてなすべき事を今一度、周知徹底させる意義深いものであると考えておりますので、会員諸兄に於かれましてはご理解の程、宜しく申し上げる次第でございます。


甲南大學應援團OB会

八代目甲雄会本部