我が團七代目(昭和36年卒)で副團長を務めておられた喜多将之先輩が長い闘病生活より復帰されたとの報せを頂き、早速、我が会東京支部の面々を中心に激励会を開催させて頂きました。
喜多先輩は東京において飲食ビジネスで成功を収め、現役應援團で何かイベントがあったり、合宿先が関東方面だったりした場合に途方もない支援をして下さる先輩、という認識はございましたが、本拠地神戸より離れておられることもあり、お会いさせて頂いた現役團員は少なかった様に思います。
我がOB会は現役應援團が八代目当時、創設者である本田孝雄先輩を首領に仰ぎ結成されましたが、本田会長の同期である藤本祐義先輩に京都ブロックを、蔵重博先輩に関東ブロックを任せ、該当地区在住の会員を取りまとめる仕組みが出来ました。その蔵重先輩の補佐を長く務め、後には関東地区責任者として東京と神戸の架け橋の役割を務めてこられました。
多忙の中でもOB会幹事会に飛行機で駆けつけ、会議が終わるなり懇親会には参加せず飛行機で東京に帰られたりしたことも再々あったそうで、今の自分があるのも應援團時代に培ったものがあればこそ、という認識を強くお持ちの方であられます。現役應援團再建を何よりも優先して活動を展開して欲しいと、大島支部長にご自身の想いを託されました。支部員一同、この想いに応えねばなりません。
東京支部も現大島支部長で三代目を数えますが、未だ先輩方がやってこられた足跡を思うと至らぬ点が多々ございます。先輩方の名を汚さぬ様、今後も精進して参りたいと思います。
【喜多将之七代目副團長】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会東京支部