昭和43年第4回摂津祭 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~


昨日まで掲載しておりました第3回摂津祭の翌年の摂津祭パンフレットでございます。昭和43年、我が團では十五代目の治世に当たります。ご覧の通り目出度く昨年までの「応援局」より「応援団」に格上げになっており、プログラムにも演者の前に役職名を堂々と入れられる様になっております。


注目するのは後年では耳にしない「指揮部長」という役職でありましょう。リーダー部長の事でありますが、これ以前もこれ以降もリーダー部長という呼び方が一般的でありましたが、この年に限っては指揮部長を名乗っている貴重な資料であります。

應援團はそもそも応援団をわざわざ「應援團」と表記する程の漢字好きであります。團内の備品や額類にも多数の漢字が使われておりまして、横文字は避ける傾向がございます。故にリーダー部と云う表記そのものが應援團内では稀有な存在でありまして、敢えてこれを漢字で表現した試みであったと推察できます。これは我が團に限った訳ではなく、関西大学応援団の昔の資料でも「指揮部」の名が確認できます。ただやはりもう一つしっくり来なかったせいか、その後、我が團では使われておりません。


後は前年までにはなかった「逍遥歌」が演目に加わっている点が目を引きます。旧制甲南高校には逍遥歌が第一から第三までございましたが、應援團で歌っておりますのは第三であります。これも関西大学を例に出して恐縮なのですが、関西大学では校歌に準ずる歌として「逍遥歌」が愛唱されております。文献を調べてみますと甲南にも「逍遥歌」が旧制時代には存在していた事を知り、復刻させた、という訳であります。


とは言え、活動休止からの喪明けにも関わらずリーダー部3回生だけで6名を数え、それぞれが乱舞を披露するという人員の充実ぶりには瞠目致します。この強固な組織力は今の世でも大いに見習うべきでありましょう。



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八代目甲雄会團史編纂委員会