現在、昔では考えられないような名前を子供に付けるのが当たり前になってきておりまして、読めない名前にしばしば出会う事がございます。親御さんも子の幸せを祈念し、字の吉凶や画数などから最適な名前を選び出すという親心は今も昔も変わらないのでありましょう。
当会の名簿を見ておりますと、名前に纏わるエピソードが多い事に改めて気付かされます。最も多いケースは婿入りし姓が変わる方でありまして、相当数「旧姓〇○」と書かれている会員がおります。念のため申し上げると全員、男性であります。色男が多かったと言えばそれまででありますが、学内では「鬼の統制部長」と恐れられている團員が夜の三ノ宮では「真珠のコウちゃん」などと呼ばれていたそうでありますので、論評に困る事態であったのは確かであります。
後は稀ではありますが、自らの名前を自らで決め、戸籍まで変更する者もおります。戸籍まで変えてしまえばまだ良いのですが、普段は自分で勝手に好きな名を名乗られますと、葬儀等、正式な場で本名で名前を記入されても「誰やねん?」と受付担当の人間が当惑する事態を招来したりするのでございます。
また国籍の事情、人生の諸事情で通称を名乗っている者などは何か事が起こった時に、通称〇○こと△△と記載され、そこで初めて本名を知るという事もある訳であります。
また自分の名前にこだわりがないという変わった者も我が会には結構おりまして、年賀状や各種行事の出欠の返信など、過去何年か分を見ておりましても同じ者の筈なのに、「ゆうじ」という名前の一字が「二」「次」「司」と書面によってバラバラだったりするのであります。後は「のぶお」などでも「夫」「男」「雄」と、書状によって異なっておりまして、どれが戸籍上、正しい名前なのか今もって分からない者もおります。
かの西郷南洲先生の本名は隆盛ではなく隆永であるという説があるそうであります。本来、隆盛は父の名前なのだそうで、明治になり姓名を登録する際、役人が誤って父の名前で登録した事が原因との事なのですが、自分の名前などは些事でありどうでも良いという南洲先生の人間の大きさを表すエピソードとして伝えられております。さりながら我が会の面々には、あてはまらないと思う次第であります。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会