親衛隊の團内での位置付けや役割は時代によって様々でありますが、一時期はリーダー部は親衛隊の直系組織であるという時代もありまして、その期間は幹部以外の團員は全員が親衛隊であるという形になっており、それを束ねる隊長の権限は絶大でありまして、若衆頭と言っても差し支えない程でした。
時代は流れ、リーダー部も直系に昇格し、組織上、親衛隊隊長とリーダー部長は同格となり、親衛隊所属の團員の指導と團旗、太鼓の管理責任を負う者という位置付けに変わりました。リーダー部長が團内では誰よりも巧みにリーダーを演じる事が出来る技能を保持する事を義務付けられたのと同様に親衛隊隊長も技能職に変貌し、大團旗旗手を務める事が出来なければならないというのが、48代目時点で伝わっていた隊長に必要とされる技量であります。
本来は親衛隊に入って来る様な荒くれをまとめ上げるだけの人格的迫力と腕っぷし、強固な統率力が隊長の器量を測るバロメーターでありましたが、時代の流れと共にその必要性が失われていったのだと思われます。
ただ大團旗旗手という存在は我が團にとっては、敬意を持たれる存在でありました。我が團では財政状況が芳しくない時期が長く、團旗のポールが昔ながらの鉄製という代物で、物理的にかなり重いものでありました。團で研鑽を積んで世間一般的にも体力はある部類に入る團員でも持てない者は珍しくありません。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会