最後の親衛隊隊長【前編】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

以前、「最後のリーダー部長 」というお話を紹介させて頂きました。これまた以前、書かせて頂いた記憶がありますが、我が團が48代目時点での最終形の組織体制になって以降、團員にとって人気がある役職、言い換えれば3回生團員が就任したい役職のトップ3が團長、リーダー部長、親衛隊隊長であると思われます。


團勢が翳り團員数も減る中で、最後の○○長という存在が生まれる訳でありますが、最後のリーダー部長である32代目 芹生長門甲兄(昭和62年卒)は身内贔屓を差し引いても、大変なリーダーとしての技能、心構えを持っておりました。たとえ10名、20名と同期がいる時代に我が團に身を置いたとしてもきっとリーダー部長に選出されたであろうと思います。


それではもう一方の雄 親衛隊隊長はどうか、という素朴な疑問が浮かぶわけでありますが、今回はその辺りを考察したいと思います。


リーダー部長という役職は昭和29年の創團の際には存在していた役職でありますが、親衛隊隊長は正式には昭和38年に設置された役職でありますので、10年ほど新しいものでございます。

應援團内に親衛隊という組織を置くというシステムは関西地区で発祥したと伝えられておりまして、我が團が創團した時には他校では既に親衛隊制度が確立しておりました。故に他校に刺激を受けて昭和38年までの期間でも親衛隊隊長を名乗る者がいたという話を聞かない訳ではありませんが、正式には昭和38年の十代目甲南大學應援團の古森浩親衛隊隊長が初代隊長というのが正式な系譜となっております。


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