当時、実際に勧誘してみて分かったのは学生部に「甲南大学に吹奏楽部はありませんか?」と問い合わせをする新入生がそれなりにいたのであります。一般的なイメージとして新設校でもなければ、それなりの規模と歴史を持った吹奏楽部があって然るべきだと思うのでありますが、答えは「去年、出来たばかりの吹奏楽部が應援團の中にありますよ」というものでありますので、希望者は戸惑う訳であります。
一つは出来たばかり=人、楽器を初めあらゆるものが未整備であること、もう一つは應援團が母体であること、この2点が新入生の心を重くしていた様であります。應援團が学生に不人気である事は我々の反省すべき点でありますが、吹奏楽部を立ち上げるには様々なハードルがございました。
吹奏楽経験者を一人ずつあたり、少人数編成でもやり方はいくらでもあること、また創世記であるが故に一から自らの手で作り上げてゆく楽しさをアピールし、地道に勧誘を繰り返した結果、見る見るうちに形がついてきた次第であります。
焦ったのは当時の幹部でありまして、そんな短期に形が付くとは思っておりませんでしたので、楽器購入費用を捻出する事に追われる羽目に陥ります。そこは現在、連載中の應援團営業部が活躍し、結構な金額ではありましたが、調達に成功し、発足3年目にあたる37代目より応援活動、演奏会、乱舞の集いでの演奏等、様々な活動を展開するに至ります。
数々の困難はありましたが、能勢初代部長は理想的な創始者であったと言えましょう。この話の冒頭に記載した現吹奏楽部のHPによりますと、現在では應援團より独立した時を創部として記録している様であります。考え方は色々あるとは思いますが、それでは能勢初代部長がゼロから作り上げた労苦が語り継がれないのでは、と当時を知る者としては思ってしまいます。
應援團時代の吹奏楽部OB・OGと現役吹奏楽部員との間での交流があるのかまでは分かりませんが、應援團を抜きにしてでも交流頂ければと祈念致す次第であります。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会