そんな中、そういう事情を知った上で是非やりたいと手を挙げた1回生の学生に巡り会う事が出来ます。能勢正甲兄であります。吹奏楽部は高校でも当たり前の様に存在するクラブでありますので、一から立ち上げる事などまずなく、それを面白いと感じた様なのであります。結局、平成元年度の勧誘成果は彼1名だけだったのでありますが、この事が大きく状況を変える事になるのでございます。
平成2年度、36代目体制が発足してようやく獲得した初の吹奏楽部部員 能勢甲兄を中心に春の勧誘対策を初め創世記における吹奏楽部の立ち上げ方を来る日も来る日も議論を重ねました。当初の少人数編成の中で優先して揃えるべき楽器は何か、練習の頻度、練習場所をどうするか、すぐに専用の部室の確保は難しい為、余りにも浮世離れした應援團親衛隊・リーダー部の組織体制との共存をどうするか…、問題は山積しておりましたが、能勢甲兄は実によくやってくれたと今更ながら思います。
翌春には10名近い新入生、その翌春にも同数の新人を得て、能勢甲兄が2回生の折、我が團で申せば36代目の治世に初代部長として、38代目まで吹奏楽部の黎明期を支え続けました。その後、我が團最後の48代目まで吹奏楽部は存続し続けますが、この36-38代目の期間が部員数は無論、辞めた人間もおりますが、結果的に最も充実しておりました。
吹奏楽経験者という者は潜在的に相当数おります。大学に入っても続けたいかどうかは人それぞれでありますが、それでも毎年、一定のニーズはある訳であります。きちんとした受け皿があれば、毎年、一定数の新人を迎える事が出来る筈なのですが、なかなかそううまく事は運びません。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会