第8回 求道者 森下暢夫(三十七代目甲南大學應援團副團長)【16】
森下副團長はこの代の中では変わり者に分類される人物であります。そもそもバブル景気に浮かれ、大学のレジャーランド化が叫ばれておりましたご時世に学ランを着込んで頭を丸め、一日中、学内を駆けずり回る應援團稼業に身を投じる事自体、酔狂以外の何物でもありませんが、その変わり者の集団の中でも彼は一際、変わっていたのであります。
團員は4回生になりますと、諸々のしがらみから解放され、失われた時間を取り戻すべく娑婆気を満喫し、行事以外は姿を見せなくなる者と、先輩のいない應援團ライフを堪能すべく毎日の様に團室にやって来る者とに大別されます。
森下副團長はそのどちらでもなく、両方に熱心でありました。彼は字も達筆で、学業も優秀、当時の應援團顧問の笹井先生のゼミに籍を置いておりまして、ゼミのコンパや旅行の幹事などもせっせとこなし、就職先も明確な希望を持ち、就職活動に余念が無いという優秀ぶりであった反面、團室にもよく顔を出しておりました。
彼に欠点があるとすれば、指導者としての才がない事でありましょう。練習でも率先してリーダーに立ちますが、後輩がどんなにへばっていても、自分が出来るうちは意に介さずやり続けます。「森下先輩がリーダーに立つと腕立てがいつまでも終わらない」などと後輩は恐れ慄いておりました。彼が当時は團内で一番、体力がありましたので、後輩はたまったものではありません。最後列の1回生から順番に倒れ、最後にはリーダーの森下副團長が一人で練習をしている、などという光景が見られました。夏合宿では最終日までやり通した1回生は1名のみという有様でございました。
よく言えば自らの背中を見てついて来い、という訳でありますが、落伍者をどう指導するかが欠如していたのであります。指導者としては大いに問題がありましたが、リーダー個人としては4回生にしてピークを迎えるという理想的な状態でございました。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会