團員は学内にいる時は学ランか練習着であるジャージ姿で過ごす者が殆どでありました。特に体育会の施設が六甲アイランドグランドへ移管された以降は、学内で体育会各部のメンバーがそれぞれの練習着でキャンパスを闊歩する姿を見かけなくなり、なおさら我が團の團員は目立つ様になってしまいました。
それこそ建学当初は全員が学生服でしたので学生服=應援團という訳でもありませんでしたし、それ以降も各部揃いのジャージを着たり、弓道部や合気道部の部員は袴姿で学内を歩いておりました。
我が團のジャージも様々な変遷がありますが、最終的にはボンタンジャージとか国士舘ジャージと呼ばれたダボダボの黒いジャージで揃えておりました。このジャージは元々、柔道や空手の道着を着た上からでも着用出来る様にかなりゆったりとした作りでございました。胸に白糸で「甲南大學應援團」左上腕部に「親衛隊」「リーダー部」の所属を刺繍しておりまして、余りガラが良いとは言えない出で立ちでありました。
現役時代、一般の方に「甲南大学に応援団があったの?」と驚かれた経験が一再ならずございます。それ程、一般の方が甲南大学に対して抱くイメージと大学應援團に対して抱くイメージに乖離があったと言える訳でありますが、この写真の様に普通の大学生活の中に確かに我が應援團は存在していたのであります。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会