リーダー部列伝【8】(15) | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

第8回 求道者 森下暢夫(三十七代目甲南大學應援團副團長)【15】

他校應援團の舞台の見学は非常に良い刺激となりました。入團以来、學習院大學應援團、しかもセレモニーの際の院歌しか見た事がない訳でありますから、他校の演武の一題一題を食い入る様に観ておりました。

この時期、応援活動も活発になり、様々な競技の応援に年30回程度は赴く様になっておりましたが、残念ながら対戦校に應援團が駆けつける様な試合、競技がなく、日常も神戸市内に本拠を置く應援團は当時我が校を入れて3校しかない事もあり、街中で見かける事も殆どない状況にありました。

そういう言わば鎖国状態の中で育った世代なのでありますが、この時は自團の團勢回復に躍起になっておりますので、他校の動向など気に掛ける余裕がなかったというのが正確であります。

それでも他校應援團が送って下さる機関誌を拝読しますと、20-30名のリーダー部團員がズラリと並んだ勇壮な写真が掲載されていたりしまして、我々がこうしている間に他校應援團は随分と進化しているのだろうと思ったりもしておりました

ところが何校か他校應援團の舞台を拝見した時、下級生に感想を聞きますと「森下副團長のリーダーが上手いのがよく分かりました」というやや的外れな回答でした。無論、大学単位で歌も振りも千差万別でありますので、一概に上手下手は比較出来ないのでありますが、リーダーが発する気迫であるとか手の振り方の精練度合等である程度の力量は推し量れるのでございます。

身内贔屓が入った評価を差し引いても、それ程、この時期の森下副團長のリーダー技術は卓絶しておりました。

甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会