その後、若様に聞いたところによりますと、幼少の頃より父君の実子である事が色々と影響してきた様でありまして、その事を必要以上に気にかけていたのであります。
彼は小中高と私学を出ていたのでありますが、父君はあの大企業の社長であるとか家の大きさとかお姉さんが可愛いとか、そういう野次馬根性を煽るような話題はいつの世も好まれるものでありまして、彼の場合、父君の存在はそういう大衆の心理を刺激するには充分過ぎた訳であります。
いつしか疎外感を感じる様になった若様は徐々に内気な性格になっていたのであります。私立と申しても若様の場合、小中高大、それぞれ違う学校に通っておりまして、特に親しい友人もなく、いつの頃かそれすら苦に思う事なく現状を割り切って受け止める様になっておりましたが、大学に入り妙な団体とその構成員に巡り合ったという訳であります。
若様は毎日、大学へ通っておりましたが、昼は学生食堂を利用しておりました。ただ昼休みの1時間に学生はもとより教職員も殺到する訳でありますので、人ごみを嫌う若様は余りにも混雑している時は、生協で弁当を買い、グラウンドの石段に腰かけ食べるのが常でありました。
我が團は昼休みの練習を週に数度、グラウンドで行っておりましたので、若様はその様子を不思議そうに眺めながら昼食を摂っておりましたので、声をかけられる前から團員氏の顔は知っていたのであります。太鼓を打ち鳴らし声を張り上げる應援團の練習風景は見ていても、きっと楽しそうに見える筈もありませんが、若様はその光景を見るのが好きでした。
そんな経緯がありましたので、心情的な應援團の応援団でありまして、後年、團室を訪れる様になった時に下級生に食べ物や飲み物を惜し気もなく提供していたのは、そんな下級生の苦難をよく知っていたからであります。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会