團員氏は少年マガジンやらヤングジャンプ等の漫画本は嗜まない代わりに週刊大衆、アサヒ芸能、実話時代等を愛読しておりました。「戦う菱軍団」だの「東京侵攻作戦の最前線」だのとの勇ましい記事に心躍らせておりました。
若様の父君は神戸市に本拠がある軍団の知恵袋と称され、その特徴溢れる風貌と相俟って、この手の本ではよく写真が使用されておりまして、嫌というほど、良く知っていた方だったのであります。
よく思い出してみれば、その彫の深い風貌は若様とオーバーラップ致します。親子でありますから当然の事ではありますが、今更ながらたまに出た講義でノートの切れ端を丸めた紙弾を輪ゴムで若様の後頭部へ飛ばしていた事が悔やまれてなりません。見知らぬ者が同じ事をやっている現場を健太郎社員あたりに見咎められようものなら、鉛の弾を馳走頂く羽目になった事でしょう。
しかしながら輪ゴムの張力を利用した紙弾は痛いものの、父君を慮り全くそういう経験がないというのも寂しいものであります。知らぬ事とは言え、團員氏の無神経ぶり、お節介ぶりは若様の人生に彩を加える結果になっていた訳でございます。
そんな事情を知ってしまった團員氏、父君の素性を知ってしまいましたが、それ故に若様への接し方を変えてしまっては、寂しい思いをするに違いない、と思い直し、それ以降も午前中にキャンパスで若様と出会うと「おはよう」と言いながらのヘッドロックは欠かす事はありませんでした。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会