リーダー部列伝【7】(9) | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

第7回 孤塁 中村昭則(三十五代目甲南大學應援團團長)【9】


3回生のリーダー部として最後の舞台を踏んだ中村團長は、間もなく三十五代目團長を継承し、一家一門の総領としての仕事をこなす日が続きます。その中でも次代へ演武、乱舞を伝承する作業を怠る事はありませんでした。


36代目には後に副團長に任命される井上満哉、37代目には同じく副團長に任命される森下暢夫と言ったリーダー部員がおりましたので、彼らに自らが修得した全てを叩き込んでおりました。

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柔らかさ、しなやかさという点では、両名共、中村團長に及びません。しなやかなリーダーの演じ手は中村團長が最後だったかもしれません。


そして團長として臨んだ最後の「乱舞の集い」では團長、親衛隊隊長が演じる「学園歌」「必勝音頭」のリーダーのみを務めるに留まりました。この2題はゆったりとした雄大な振り付けでありますので、中村團長が持つリーダー技術を生かすには不向きな演目であったと見られますが、淡々と演じ切ります。


「乱舞の集い」に向けて團員達が日々、練習に励む中、リーダーの指導を行っている、ふとした空き時間、鏡に向かってもう公の場では演じる事はないであろう「應援歌」のリーダーを切る背中は、芹生リーダー部長に憧れて入團にも関わらずリーダー部として4年間を全う出来ない無念を押し殺し、自らの務めを果たす事に全てを傾注した、まさに男の背中でありました。


33代目春合宿時点では最小4名にまで減少した我が團でありましたが、その折の最下級生が中村團長であります。たった1名の代を最後まで守り抜いた事が、その後、36代目以降、團勢を回復した礎となった事は疑う余地がございません。【完】

【必勝音頭】
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【学園歌】
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八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会