第7回 孤塁 中村昭則(三十五代目甲南大學應援團團長)【8】
中村團長がリーダー部として表舞台に立てる最後の舞台が3回生の「乱舞の集い」でありました。自己研鑽に励み、本番を迎えます。人数が揃っていればリーダー部長が演ずる演目である演武「應援歌」乱舞「乱れ八拍子」を中村團長が演じます。
中村團長のリーダーはどちらかと言えば先々代にあたる33代目松田副團長流に近いものであるとされております。柔らかくしなやかなリーダーであります。見れば何の訓練も積んでいない方でも「俺でも出来るのでは…」と思ってしまう程、涼しい顔で淡々と演じているのですが、ものの1分も真似をしてみれば、見た目とは裏腹に如何に激しいかが分かるのであります。
我が團の「應援歌」では通常、リーダーは左右にサブリーダーを従えて演じる型になっております。サブリーダーを手旗を振って、演じるのでありますが、團員数が少なかった30代目~35代目の期間は、サブリーダーを付けず演じておりました。この期間、團員達は春合宿でこの手旗を学びますが、遂に日の目を見る事がございませんでした。教える方ですら本番で演じられるところを見た事がない訳ですが、團員数が回復し始めた36代目よりサブリーダーは復活するのですから、この年代の伝承能力は極めて高いと言えましょう。
そんな不遇な時代の中、甲南大學應援團と言う看板を支える為だけに骨身を削った30代目~35代目の團員達の想いが結集された鎮魂歌が、中村團長演じる「應援歌」であり「乱れ八拍子」であった様に思えてなりません。
【應援歌】
八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会