第7回 孤塁 中村昭則(三十五代目甲南大學應援團團長)【4】
團員が極めて少ない時代に入門した中村團長は、練習の際はほぼマンツーマン体制でありました。1回生2回生共に1名ずつしかおりませんので、当然の事でありましょう。また指導者であった3つ上の芹生リーダー部長、2つ上の松田副團長は無尽蔵の体力を誇っておりまして、自らを基準に後輩の指導にあたるのですから、下級生にとってはたまったものではありませんでした。いつまで経っても終わらない腕立て伏せ、ふと視線をリーダーに向けますと、涼しい顔をして止める気配がなく、途方もない絶望感に包まれたりするのであります。
リーダーの指導についても、34代目小川團長が親衛隊であった事もあり、早期に中村團長に伝承を行う必要が生じ、前倒しでリーダーの指導が行われておりました。しかも応援会場や舞台で演じる予定の演目以外でも後世に伝承する為だけに覚えなればならない演目もあり、平時のリーダー部員よりも負担が大きかった訳でございます。
八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会