第7回 孤塁 中村昭則(三十五代目甲南大學應援團團長)【3】
繰り返しになりますが、1名しかいない代というのはあらゆる面で負担が多く、複数名いる代に比べ労苦を伴います。これは特段、應援團に限った話ではなく、多くの組織体にもあてはまる事でありましょう。
役割分担という問題もそうでありますが、何より時には競い合い時には励まし合う同期の存在は、過酷な日常を強いられる應援團であるからこそ、大事なのであります。
34代、35代と2代に亘って1名しかいない代が続いたという事実がこの年代の苦労を如実に物語っております。
中村團長にとって幸運だったのは、32代目芹生リーダー部長、33代目松田副團長という優れた指導者の下で下級生の下積みで研鑽出来たという事でありましょう。
誤解を恐れずに言えばリーダー部は才能が半分以上を占めます。四股立ち等、不自然な体勢で長時間、リーダーを演ずる訳でございますので、目方が重い團員ですと、いかに筋力をつけたところで自らの体重で徐々に体勢が崩れてしまいます。リーダー部員に痩身の團員が多いのはこういう事情がございます。
また緩急をつけて自在に腕を振ったりする動作と運動神経は無関係ではなく、運動神経が鈍いと言われる者が同じ動きをやりますと、何処かぎこちなくどうしても不恰好に見えてしまうものであります。
故にここまで才能と申しますか、持って生まれた部分に大きく左右される部分であります。ただ上記の様な条件に合致しましても、いくら練習をしても上達しない者もおりますので、いかに目標を持って練習に取り組み、結果を残せるかがリーダー部員としての分かれ道になるのであります。
こういった意味でも偉大なる先輩の優れたリーダーを間近で見る事が出来た中村團長は幸運であったと言えるのであります。実際に生で秀麗なリーダーを見て、恰好いい、と腹の底から感じる事が、良いリーダーになる近道なのかもしれません。
八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会