第6回 柱石 松田豊彦(三十三代目甲南大學應援團副團長)【2】
三十三代目甲南大學應援團 松田豊彦副團長は二十八代目甲南大學應援團 松田茂宏副團長の実弟であります。以前にご紹介した我が應援團に在籍しておりました3組の兄弟團員
の1組がこの松田兄弟であります。
甲南は幼稚園から大学までございまして、甲南高校から甲南大学への進学率は極めて高うございます。故に兄弟揃って甲南とか、親子二代に亘って甲南、或いは旧制高校時代を含め三代に亘って甲南という方は相当数いらっしゃいます。しかし兄弟が同じクラブに入るというのは、統計をとった訳ではありませんが、体感的には少数派かと思われます。
松田兄弟の場合、甲南高校出身ではありませんので、共に甲南大学に入学した事自体が偶然でありまして、しかも同じクラブに、それもよりによって應援團に入るとは、かなりの低い確率だったのではないかと思われます。それが現実に起こった訳ですから、世の中、何が起こるか分からないものであります。
兄 松田茂宏副團長が應援團の門を叩いたのは、昭和54年、25代目竹中豊團長の治世でありまして、創團25周年記念乱舞祭が盛大に行われた年でありました。勧誘活動も活発で多くの新入團員を得、團勢が盛んな時代でございました。
乱舞祭が開催される年は概ね團勢が盛んな時でありまして、充実しているが故に活動も活発になる訳でございます。活動が活発になれば、下級生團員の負担も例年より大きくなる訳でありまして、新人も大量に入り大量に辞める傾向があります。
【1回生当時の28代目團員(右端が松田茂宏副團長)】
兄 松田茂宏副團長は勢いがあった我が應援團での下級生修行を経て、その後の團員としての基礎を形成するに至ったのであります。神戸市出身の松田副團長は実家から通学致しておりましたが、その姿を弟 松田豊彦副團長は垣間見ながら少年期を過ごしていたのであります。
八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会