第6回 柱石 松田豊彦(三十三代目甲南大學應援團副團長)【3】
松田豊彦副団長は兄とは異なる労苦を味わう團員生活を送る事になります。松田副團長が入團した折、3回生の高橋團長が指揮を執っておりました。この高橋團長が入團した時の幹部の中に松田茂宏副團長がおり、結果的に高橋團長は兄から指導を受け、弟を指導するという奇異な役割を担っていたのであります。
この松田兄弟、兄弟でありますので当然の事でございますが、背格好、雰囲気、声等が実に似通っておりまして、その間の代目の團員は実に戸惑った事でありましょう。
事実、勧誘活動の際も「先輩の弟」という肩書きが否応なく付いて回りますので、現場は他の新入生同様、強引に入れてしまって良いものか大いに困惑したと伝えられております。
そんな混乱も入團するまででありまして、入ってしまえば他の新入生同様、過酷な團員修行が待ち構えております。ちょうど我が團では時代の曲り角にあたる年代であり、團勢盛んなりし頃の風習がそのまま残っておりましたので、所帯が小さくなった團での下積み修行は無理が生じる場面が多々あり、それまでとは違った労苦を伴いました。
その一つが演武・乱舞の伝承でありましょう。31~35代目の間、團員が減少し、リーダー部がいない代もあり、伝承は大きな課題でありました。一人で何題も覚えるものの、実際に応援会場や乱舞祭等で演じる機会があるのは、ほんの一部に過ぎません。演武や乱舞は本番で演じる事を前提に稽古を重ねたものと、単に振りを覚えただけのものとでは、全く質が異なります。本番で演じる予定もなく、後年、入ってくるであろう後輩に伝える為だけに覚える演目というのは実に哀しいものであります。それを乗り越え見事に途切れさせる事なく伝承したこの間の代目の團員の努力は團史の中でも特筆すべき偉業であると言えるでしょう。
【乱舞の指導を受ける2回生時代の松田副團長】
八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会